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2019年10月12日01:06

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Kバレエカンパニー『マダム・バタフライ』

ちょっと接待の都合でKバレエを久しぶりに観ることなった。

でも1幕目退屈で寝てしまい、何が退屈なのか考察しながら観た第2幕。

印象が何かに似てると思ったのは、METのオペラを見た時の、本物のお城でなくディズニーランドのシンデレラ城を見せられたような感覚。

全エピソードに対して、同じ照度でフラットに見せすぎるのだ。

煌めくスターダンサーの不在は仕方ない。

そこまで無理は求めない。

この作品で唯一評価できる表現は主人公が息子を正妻に手渡す時の正座してお辞儀する場面。

とてつもない悲しさを観客が『想像する』→『悲しみが観客の頭の中で増幅する』というクリエイティブが起こる。

でもそんな素晴らしい場面が休憩込み2時間40分の間でそこしかない。

それ以外はやはり『語り過ぎ』。

敢えて心情を語り過ぎず、見ている最中の観客の頭の中の想像力を暇にしない。

それが創作なんだって気づいた。

翻って自分の作品は語り過ぎてるんじゃないだろうかって、背筋が寒くなった。

その感覚を持てただけで、このカンパニーを今、観ておいたことは収穫だった(きっと熊川が躍らない限り、もう観ない)。

『ラピュタ』のシータとパズーはもうキスくらいしてるかもしれない。

でもそれを描かない作家の潔さゆえに、観客の心の中に浮かび上がってくる少年少女の純粋な絆。

熊川哲也は頑張っていると思うが、これはただのエンタメで、アメリカ映画みたいなものだ。

芸術の範疇には入らない。

『紅の豚』でジーナが言った、『この国ではあなたの国(アメリカ)よりちょっと複雑なの』といった旨の台詞。

そう、人間関係は、キャラ同士の関係性は、そして心情を持つ各キャラのアクションは、ちょっと複雑な方がきっとかなり面白くなるのだ。

そしてその言動全てに照明を当ててしまって存分に照らすときっとこの作品のように退屈になる。

僕もそれを忘れてはいけないらしい。
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