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2018年04月26日16:37

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「不死身の特攻隊」から考えたこと

  「不死身の特攻隊(鴻上尚史著・講談社新書)」の事は先日書きましたが、その後も考えた事があるので書きます。


  作者の鴻上氏は決死命令を何回も無視して生き延びてきた特攻隊員の一人の例を丹念にルポして詳しく様子を再現し、旧日本軍の命を軽視する体質を強く批判し、更には、それは「今の日本企業の過労死にもつながっている」と指摘されています。旧日本軍の枠を越えて、そこまで指摘されている事は敬意に値する書物だと思います。多くの人たちに読んでもらいたいです。


  確かに、旧日本軍の命軽視は言うまでもないし、又、例えば、優生保護法など、政府高官のかなりも命軽視の発想があります。戦前から高官のかなりがそうだったようです。それは考えて、命重視の発想に変えていかなければなりませんね。でも、命軽視は果たして、軍と高官だけでしょうか。民間にもそのような気風があると思われる戦後の三つの事件を思い出し、考えこんでいます。古い順から述べると、「連合赤軍関係」、「戸塚ヨットスクール事件」、「オウム真理教」です。

  日本の赤軍関係の一連の事件は1970年代前半に起きました。特に、リーダー格の永田洋子の命令は絶対的で、それに背いた仲間を集団リンチして虐殺も次々としていきました。元々は当時の日本政府のお金重視、命軽視の発想に反対して反政府運動をしたのに、彼ら自身も命を軽視したし、上からの命令も絶対視。旧日本軍の体質とも似ていたわけです。当時のかなりの有識者は「マルクス主義や毛沢東思想を誤解したから」と述べたかもしれませんが、そのような面はありましたが、それだけで済まされる事だったのでしようか。

  「命の軽視」と「上からの命令の絶対視」は戸塚ヨットスクールやオウム真理教にも当てはまります。軍隊経験がある父は、2つの体質を「昔の日本軍みたいだ」と指摘していました。命令を聞かない人たちには、なぐる・けるの暴力をふるう。死ぬまで暴力を加えることも両者にはかなりあったわけです。特に、戸塚ヨットスクールを作った戸塚は教育者で、不良少年の更生に熱意を元々持っている人でした。そのような人が暴力をふるっていた。暴力は命の軽視に他ならないわけで、教育者がそうする事は非常におかしいわけです。戸塚自身、命を軽視していたと思わざるを得ません。命を軽視して、不良少年の心の問題に取り組めば、そうなってもおかしくないわけです。

  その他にも、例のS園の元園長の「女子園児の子宮は切り取れば良い」発言、方々の学校で慢性化しているイジメの問題...、民間の間にも命軽視の気風が戦後もあったのではないでしょうか。

  更に、1923年に起きた関東大震災の後の在日朝鮮人への虐殺、その前の日露戦争の時に与謝野晶子が発表した「君、死に給うなかれ」への人々の強い批判の声...。例えば、中世に日本を侵略して戦死したモンゴル兵の供養をしたり、江戸時代には捨て子禁止令も出されるなど、日本は元々命を尊重する気風が強かったですが、いつの間にか、その気風は隠れて、朝鮮人虐殺とか神風特攻隊に戦前はなっていき、戦後も何かの拍子に命軽視の気風が出て、残忍な事件にもなっていった。「命を最大限尊重」が日本らしい文化だとしたら、ある時点で置き忘れたと言おうか、隠されて、軍事力やお金を追及する体質ができていったのかもしれませんね。あるいは、お上の命令を絶対視するとか。民間にもそのような精神がいつの間にか、染み通った。でも、僕は「隠された」だけで、消えていないと信じたいです。捨て子禁止令を産んだような真の日本文化が復活して欲しいと。でも、その前に、我々は立ち止まり、幕末以降の日本の進路を冷静に顧みる必要もあると思いますが。何も僕は明治維新を否定する考えでもないですが、急速な欧米化と軍事力、お金追求で、「何か」が隠され、忘れてきた気がしてならないわけです。

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