mixiユーザー(id:17922359)

2016年10月03日11:53

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K氏の事を書いて

  あの通り、何とか書けた。一つ説明しなければならないのは、聴覚障碍者の歴史の所で、あえて「精神障碍関係の次に差別された」の事である。伝えられる所によると、聴覚障碍者が最も差別されたと思っていたかもしれないが、聴覚障碍者といえども、精神障碍者に対する強い差別感情は持っているわけで、そこは脚色した。それから、以上のように書くと脳性まひ関係とか、ハンセン氏病関係の人たちから「私たちが最も差別された」とクレームが付くかもしれないが、あえてそれを承知で、氏の気持ちを正直に書いた。特に、彼は「狭く、深く究める」事をする人だが、聴覚障碍関係に限らず、一つの障碍者問題の歴史を狭く、深く究めると、研究した対象が「最も差別された存在」になってくるわけである。歴史研究の性格上、そうなるわけだ。


  K氏については、もう一つ判らない事があった。氏と一緒だった福祉団体は高島平団地で子供会活動をやり、僕も身障関係の啓蒙も兼ねて、そこに参加させていただいた。昔は余り気が付かなかったが、氏と縁が切れた後、「手話を広めたいのならば、子供会に参加して、それを広めれば良いのに」と疑問に僕は思うようにもなっていった。でも、例の手話会でも、彼は聴障者の悲惨な歴史ばかり話していたのならば、そして、それが本当にやりたい事ならば、子供たちにそのような歴史を話しても理解できないから、子供会には無関心だったのかもしれないと思う次第である。

  聴覚障碍者も一人一人違う。聴覚障碍者=手話会に向く、という見方は本当に偏見だと言わざるを得ない。個性なども見ていかないと、偏見的な見方にもなる。それが確認できて、書いて良かったと思う。例えば、アメリカ人の中にもメキシコ系などで、英語が話せない人もいるし、日本人の中にも寿司を嫌う人もいる。ステレオ・タイプ的な見方はおかしいわけである。

  付け足しに書くと、僕はK氏が古い友人だから、プライバシーに配慮しつつ書いた。何も聴覚障碍者だから書いたわけではない。たまたま「ケンカ」という事が頭に残っていたから気になり、書いたわけである。僕の古い友人には五体満足の人たちでも、深い悩みや問題を持った人がたくさんいる。道を誤まり、一生を棒に振ったような人もいる。大事な大学時代に勉強をせず、別の事に熱を上げていたような医学生だが。とにかく、一人一人違うが、悩み・問題・道の踏み外しなどの原因には大きな社会の矛盾が見られる。ある意味では内向きになっても良いから、友人や仲間の問題を細かく見ていかない限りは誰でも社会問題は見えてこないのではないかと思う。また、友人たちの問題を見る事により、自分との共通点など、自分の問題も見えてくるし、更には、自分のこれからの生き方のヒントも掴めるかもしれないわけである。

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