土曜日日曜日月曜日と計3日間、一日2時間ずつ、中編小説の校正に時間を割いた。
震災が起きる前に未完成ながらほぼまとまっているその作品を読んでいた。いまどきの若い者を描いた佳作なのだが、ときどきはっとするような描写があって、作者の将来性を感じた。
有料の電子書籍にしないか? と持ちかけた。
震災後、いろいろと精神的な圧迫感があったのだろう。作品が届かない。電子書籍だと印税などたかがしれていることもあって、私はときどき彼のツイッターをチェックしながら待ち続けた。
先々週、メールで「やりかけた作品は仕上げよう」と言ったら、先週木曜日にメール添付で送られてきたのだった。
稚拙な箇所が目につく。
ときどき主人公の名前が誤変換されている。
赤ボールペンを握りながら、一行読んでは数行前に戻って読み直しをしたりして、ときどき舌打ちをした。
金に換えたいと思う原稿は、たとえそれが雀の涙ほどの金であったとしても、心血を注いで注いで、幾度も読み返してから編集者のもとに送りなさい。そう言って戻したくなる瞬間が幾度かあったが、押しとどめた。
理由の一因は震災である。
自分がやれるなにか、ということを第一に据えることが大事である、という当たり前のことが震災後、社会の一員である人間のあるべき姿勢である、ということが見えたからだ。おそらく私同様、社会を支えるのは自分自身であって自分が動くことで社会は形成される、というテーゼを再認識した人が多いことだろう。
私がいま出来ること。
いろんなことがあるだろうし、大してないとも思う。
一字一句読み下して、リライトをしてやる、ということは私にしか出来ぬ営為だ、と言い聞かせ続けた。
毎日こんな風に少しの時間を費やし、怒ったり笑ったり泣いたりして、しかし大半の時間を自分の愉しみだけに充てている(笑)。まあ理想的な晩年だろうとは思う。
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