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2020年11月24日16:17

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聖書を超える理念?

「神に祈り、無限の愛を頂き、感謝の結果として、隣人に愛を広めていく」が聖書の愛だが、僕が経験した某福祉団体の理念は、そのような根拠も示さず、会員にいきなり「人類愛」。どう見ても聖書や歎異抄を超えるし、マルクス主義も越えている。衆生への愛の前に、厳しい修行を要求される自力仏教も越えたものである。
  思い出すに、クリスチャン反応は二分。「聖書を超えるとは傲慢だ」と、例の伊藤節男伝道師など、激怒するか、又は、愛を共通項に受け入れるか。受け入れたクリスチャンたちは一生懸命活動したが、聖書を超える理念の為、カルチャーショックを受け、次第に精神不安定になっていった。神に与えられず、自前の愛で活動し、ハンセン氏病啓蒙などの社会変革活動も行なうわけだから。 詳しくは書けないが、信仰心だけでなく、精神不安定にクリスチャンたちはなっていった。そうだろう。その会にいた時の僕はキリスト教をよく知らなかったが、今は判る。また、一人いたマルクス主義者も会の方針に反対するようになった。信仰やイデオロギーを持たない人たちも、ムリな事をしたため、かなりが精神不安に陥っている。僕もそうなった面はある。 
  SFになるが、「いきなり人類愛・社会変革」は高度な文明を持つ宇宙人や未来人を想定しても、ムリである。何故、そのような発想が生まれたのか。発案者の氏名などは僕は聞いた事がないから判らないが。また、「発案者も判らない理念」を持ち続けたその会もおかしいわけであった。ボランティアや福祉関係、身障運動以前に人間は無力である。だから、祈りを頂き、弱く、至らぬ者同士が自然に共生できるのに。以上の発想では共生できず、反福祉にもなるわけである。例の教会関係とは別の意味で問題だったと言えよう。
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