仁学「道を極める」
道を極める、これを極道と云う。極道と云う言葉は最近あまり良い印象とは思えないが、本来「道を極める」と云う良い意味である。
ただし、悪の道があれば、善の道もある、世間で云う極道は「悪の道を極める」人間たちのことである。「善の道を極める」人間たちは徳人たちのこと。
悪は周囲に迷惑を掛け、善は周囲の人間に仁徳の心を導く。
これは坂道を上る人間と下る人間と同じ。下るは容易くしかも勢いが付く。上るは時間を要し、徐々に進むしかない。下りは勢いが付き、自分で止まることができず、落ちるところまで落ちる。
落ちた人間は周囲が自分より上に居る為に、自分の相が最下位に居ると思えば、自分と他人に腹がたち、その劣等感や不満を周囲に当たり散らし、暴言や暴力、悪事を働くことになる。
人間、心一つで上下の道を選ぶことができる。決して社会や環境、人の所為にしてはいけない。人の所為にするほど、自分自身の心が弱体化するだけで、何も利点はない。道を極めるのは最終目標で良い。
ただ、その道を選ぶのは自分自身の心であり、その心が人格と人生を創っていく。日々、心で思う善悪の質量で道は決まる。
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心学者 仁学者 円 純庵オフィシャルブログ「心を円やかに」
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