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2020年04月29日23:12

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キリスト教思想史〈1〉キリスト教の成立からカルケドン公会議まで フスト ゴンサレス 新教出版社 2010年05月25日

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p.274
ただし、カリストゥスは注意深く、父が子において苦難を受けたとは語らず、父が子と共に苦難を受けたという表現を用いている。こうすることで、カリストゥスは父神受苦論を避けようとしたのであった。しかしながら、カリストゥスは、神の内に区別はなく、「子」という用語はキリストの人性にのみ言及するものであると主張する仕方で、神の統一性を強調しているのである。
 ヒッポリュトスは三位一体論を、ノエトゥスおよびサベリウスの様態論と、もう少し不明瞭なカリストゥスの教理を批判する仕方で、テルトゥリアヌスの「プラクセアス反論」を用いて展開している。テルトゥリアヌスがそうであったように、ヒッポリュトスも、様態論を批判する目的で神の位格の区別を強調するあまり、神の統一性を十分明確にしてはいない。
p.275
そのため、テルトゥリアヌスと同様に、ヒッポリュトスの場合もロゴスを第二の神と位置づけているかのように受け止められ、この点がカリストゥスによって「二神論」だと批判されることになった。
 こうしたヒッポリュトスの従属論は、ロゴスの出征が父の意志によるものであり、神が世界を創造することを目的としたものであったとする主張に、最も顕著に表されている。…しかしながら、ヒッポリュトスの従属論は限定的なものであり、ユスティノスやオリゲネスであれば認めたかもしれない「ふたりの神」の存在を明確に否定している。ロゴスが神であることが明確に表明され、否定的な議論は全く存在していない。ヒッポリュトスが否定したのは、ロゴスが父と区別される仕方で永遠に存在していたとする考えである。
p.278
 この救い主である神は、神の内にはじめからおられた神の子であり、時の初めよりも前に父が、父と子の間に「実体の交わり」を通して生んだ(20)。神の子はキリストにおいて人の子と結ばれ、この二つの本性の結合は、神の子が肉となって人の子となり、人の子がロゴスを受けることによって神の子となるほどに強い(21)。
 しかし、ノウァティアヌスがその著作を通して強調したかったことは、神の子が神であり、キリストが神性を持つことを証明することではなく、子が父と区別されるべきであることを明確にしてサベリウス主義に反対することにあった。この目的のために、ノウァティアヌスは子の従属を強調したので、アレイオス主義の先駆けと見なされることもあった。こうした従属論的傾向は、父を不変の受苦不可能な神とし、子を人間と世界の出来事とに接触し関係を持つことのできる方として区別することに起因している。
p.279
そこでノウァティアヌスによると、創世記で、天から降ってバベルの塔を見て人々の言語を混乱させた神とは、特定の場所に存在することのない父のことではなく、子についての言及である。アブラハムが見たのは、目に見えない父ではなく、子であり、天使の姿で神が現れ、この天使を通してヤコブに語ったのも、父ではなく子であった。
…しかし、ノウァティアヌスは子の永遠の出生や、子が第二の位格として永遠に存在することを認めているわけではない。子あるいはロゴスは、子が父と「共に」いることを「意志する」までは、永遠に父の「内に」あった。
p.280
 ノウァティアヌスはサベリウス主義を論駁しようとするあまりに、テルトゥリアヌスによるプラクセアス反駁と同じく、父と子の区別を過度に強調して、子が「父に劣る」「父より小さい」と述べるに至った。…もし聖霊が、人々に伝えるべきことを子から受けるのだとすれば、当然のことながら「キリストは慰め主よりも偉大である。なぜなら、慰め主がキリストに従属するのでなければ、キリストから受けることはないからである」。
p.287
どの司教にも、他の司教を服従させる権利はない。ただし、司教職の一致に基づき、司教は重要な事柄については他の司教たちと相談すべきである。…
 しかし他方、キプリアヌスは使徒たちの中でのペトロの優先性と、普遍的教会にとってのローマ教会の重要性をはっきりと認識していた。
p.288
 しかし、その一方でキプリアヌスは、いかなる事柄に関してであれ、ローマ司教が彼の教区内の問題に干渉する管轄権を持つとは考えなかった。
p.293
パウロスはモナルキア主義的な傾向を別の養子論的傾向と組み合わせたので、不正確な言い方ではあるが、デュナミス的モナルキア主義と呼ばれている。
 パウロスの神学的関心はキリスト教的唯一神論を強調することにあった。ユダヤ人はアンティオキアでは強力な少数派を構成しており、パルミラでの一般的な宗教的傾向も唯一神宗教に近づきつつあった。キリスト教もまた、異教と論争する必要から唯一の神を強調していた。そのような状況の中で、パウロスは父と子と聖霊の区別を犠牲にする仕方で、神の統一性を強調したのである。
…このような区別の仕方は、当時、他の神学者たちによっても、受肉前のロゴスと、受肉したロゴスである子を区別するために使われていたからである。パウロスが非難されたのは、ロゴスを神の内にある内在の、語られない理性にすぎないと主張したことによる。
p.294
しかし、イエス・キリストが神の子であることが本質的なことではなく神の「目的」あるいは「予定」によるとする点で、つまり、永遠の子あるいはロゴスが肉となったのではないと主張することにおいては、彼の神学は養子論的傾向を持っている。

 ロゴスあるいは知恵は、父に次ぐ存在などではなく、神の力(δυναμις)であると主張することから、この神学的立場は「デュナミス的モナルキア主義」と呼ばれ、モドゥス(様態)的モナルキア主義と区別される。後者はロゴスを父と同一とみなして、イエス・キリストの内にある神性は父そのものであると主張するために、「父神受苦論」とも言われている。サモサタのパウロスの主張はこれとは全く反対で、神の力あるいは知恵がキリストの内に宿っているという意味においてのみ、神がキリストの内に宿ったと主張した。様態論者にとってイエス・キリストは神であるのに対し、パウロスにとってキリストは「まったくの人間」にすぎない。
p.295
極端な従属論の場合、神の統一性を守るために、子(そして明確に議論される場合は聖霊も)を、父に劣る存在だが、父とは区別され、比較的独立した存在と見なした。パウロスの場合、神の統一性を守るために、いかなる高次の存在も、それがどれほど父と子となっていようと、キリストに受肉したことを認めなかったのである。パウロスの論敵が、パウロスの用いたομοουσιος「同質の」という語を非難したのは、おそらく彼がこうした文脈の中でこの語を用いたためであろう。
…彼はロゴスが父に次ぐヒュポスタシスあるいは位格として実在することを否定し、特に、ロゴスと人間性がイエス・キリストにおいて真に結合されたことを否定したことによって、アンティオキアで大多数の教会指導者からはもちろん、多くの信徒たちからも非難されたのであった。
p.296
 アンティオキアで開かれた第二回教会会議は、ロゴスが父と「同質えある」(ομοουσιος)という教理を非難したことによって、キリスト教思想史の上である程度重要な意味を持っている。サモサタのパウロスはこの語を、ロゴスが実体を持つことを否定するために用いたと思われるが、三二五年にニカイア公会議はこの同じ語を用いた。
p.297
既に見た通り、オリゲネスによれば神は永遠の創造主なので、創造もまた永遠でなければならない。しかし、メトディオスによれば、何かに依存することは不完全であることになるので、完全な存在は完全に独立していなければならない。
p.298
従って、神の創造主としての本性が創造に依存することは、神の独立性を否定することになり、神の完全性を否定することになるので、あり得ない。そこで結論として、「我々は、神が統治し創造する物質に基づいて神が全能であり創造主であると認める主張をする者たちの、悪質な罪を許容することはできない」のであり、これがオリゲネスの教理の根拠であったことからして、メトディオスは世界の永遠性についての見解も受け入れることはできなかった。
p.301
オリゲネスが子の永遠性と、父に対する子の従属性という二つの局面を同時に主張したのに対して、グレゴリオスは後者の局面を顧みず、前者だけを取り入れたのである。一部のオリゲネスの弟子たちに見られるこうした傾向は、やや不正確ではあるものの、便宜上「右派オリゲネス主義」と呼ばれている。
 それに対して、オリゲネスの神学から従属論の方を強調する弟子たちがいた。彼らは対照的に「左派オリゲネス主義」と呼ばれる。彼らは神の位格の区別を消し去ろうとするサベリウス主義を警戒していた。彼らは従属論が最も簡単に父と子を区別する手段であり、あらゆる様態論を根絶できると考えたのであった。この立場を代表するのは、アレクサンドリアの(大)デュオニュシオスとアンティオキアのルキアノスである。
p.302
子は存在しなかった時があり、子の本性は父の本性と異なると教え、また「わたしは真のぶどうの木、わたしの父は農夫である」という主の言葉を引用して、この言葉に基づいて父と子の違いを明確にし、父と子の間には、農夫とぶどうの木のような違い、あるいはボートとその制作者のような違いが存在すると教えた。
p.303
移された火は元の火から離されても、同じ火の性質を有する。「同質の(homoousios)」については、ローマ司教が用いている用法に同意しているものの、聖書にこの語がつかわれていないことを指摘している。いずれにしても、神の三一的性質は常に認められるべきなので、この語は区別されるべき三つの位格を否定するような仕方で理解されてはならない。そしてディオニュシオスは次のように結論づけている。「わたしたちは単一を不可分離な仕方で三つに拡大するのであり、逆に言えば、三つを単一に減少させることなく集約するのである」。
…「ウシア」はあるものの固有の実体を意味すると同時に、幾つかの個体が共有する本質をも意味した。同様の曖昧さが「ヒュポスタシス」にも存在した。
p.304
アンティオキアのルキアノスとして知られる人物には、サモサタのパウロスの弟子であった者がいる。彼はそれが理由で、三代の主教たちによって教会の交わりから除外されてきた。また、アンティオキアで教理学校を開いたルキアノスがいる。彼の弟子たちが後にアレイオス主義のおもな指導者となり、彼らは自らを「ルキアノス派の同志」と称した。…伝統的な理解によれば、アレイオスと彼の教理はサモサタのパウロスを源とし、ルキアノスを通して伝えられたとされる。
p.305
この説は一時期、アレイオス主義がパウロスではなくオリゲネスに由来する極端な形態の「左派オリゲネス主義」であるとする説によって挑戦された。しかし、より最近のアレイオスおよびその教えについての研究が、説得力のある別の説を提示しているので、二人のルキアノス説についての議論はほとんど意味を失った。
p.309
子は父からの発出でも、父の本質の部分でもあり得ず、父に類似した別の存在でもない。なぜなら、そのように主張することは神の統一性もしくは非物質性を否認することになるからである。子には始まりがなければならない。そうでなければ、神の子ではなく神の「兄弟」であることになる。従って、子には始めがあり、父によって無から創造されたのである。子の創造前には子は存在しないので、神を永遠の父と呼ぶのは正しくない。しかし、このことは、内在の理性であるロゴスが常に神の内にあったことを否定するということではない。ロゴスもしくは神の理性は、後に創造された子とは区別されねばならない。そこで、子が神の知恵もしくはロゴスであると言うことは、神の理性として常に存在するロゴスと、「全ての被造物の中で最初に生まれた者」という意味でのロゴスとを区別する場合においてのみ正しい。万物は彼によって創造されたが、彼は父によって造られたのであり、それゆえ被造物であって、厳密な意味においては神ではない。
…この解釈によると、アレイオスとその「ルキアノス派の同志たち」はイエスが真に人であったことを強調し、その神性を本質としてではなく意志として表現することによって、信仰者によって模倣され反復されることが可能であるとした。
p.310
アレイオスによると、子は神によって受け入れられることによって子とされたのであり、従って、信仰者も子に従うことによって同じように受け入れられることができる。つまり、「アレイオスにとっての中心的な模範は、本質が常に被造物であり続け、その立場は常に神の意志に従属し依存し続ける、完全なものとされた被造物であった」(11)。この解釈を後期アレイオス主義に適用することは困難であるが、初期アレイオス主義が目指したのが、サモサタのパウロスと同様に救い主の人性を保持することであったのは確かであろう。そのように考えると、アレイオス主義が初めサモサタのパウロスの教えと主張することであったのは確かであろう。そのように考えると、アレイオス主義が初めサモサタのパウロスの教えと主張を受け継いだものと見なされたことの説明がつく(12)。しかも、もし初期のアレイオス主義が神論についての思索ではなく、キリストの働きについての特定の解釈に起因しているのだとすれば、なぜアレイオス主義がアレクサンドリアの民衆を引きつけたがかが理解できるであろう。
p.312
彼らは「御子のなかった時がある」と朗唱しながら通りを練り歩いたりした。
p.313
もう一方には、アレクサンドリアのアレクサンドロスに率いられ、アレイオス主義を断罪することを目指す、やはり少人数のグループがあり、その中には明らかに様態論的傾向を持つ主教も幾人か含まれていた。そして、大多数の出席者は事態の深刻さが理解できず、ただサベリウス主義を恐れるあまり従属論を強い言葉で非難することにためらいを感じていた。
p.314
確かなことは、ニコメディアのエウセビオスが、アレイオスをも含めた「ルキアノス派の同志たち」の主張を明確に表明する演説をおこなったことである。その中で彼は、子の従属を唱えたと思われる。そのために、出席者の多くが不支持に回り、この時点でアレイオスの主張の大義は失われた。…
 われらは信ず、唯一の神、全能の父、見えるもの見えないものすべての造り主を。
 そして、ひとりの主イエス・キリスト、神の御子にして、父から生まれ、唯一の子、すなわち、父の本質から生まれ、神からの神、光からの光、真の神からの真の神、造られたのではなく生まれたのであり、父と同質であられる方を。
p.315
天にあるもの地にあるものすべては、彼によって創造され、彼はわれらの救いのために下って受肉され、人となって、苦しみを受け、三日目に復活し、天に昇り、生けるものと死せるものとを審くためにふたたび来られるであろう。
 そして精霊を信ず。 しかし、彼が存在しない時があり、彼が生まれる前には彼は存在せず、彼は無から生じたと言う者、あるいは、神の子は別の実体(ヒュポスタシス)または本質から生じたと言い、あるいは彼は創造されたと、あるいは彼は変化すると主張する者たち――そのような者たちを、カトリック教会は呪うものである(21)。
p.316
その中には、ニカイアにおけるアレイオスの異端宣告に重要な役割を果たした、アンティオキアのエウスタティオス、アンキュラのマルケロスらがいた。両者とも、オリゲネス主義的思弁の反対者である。エウスタティオスはむしろサモサタのパウロスの系譜に属しているが、彼はパウロス主義と非難されないよう、注意深くキリスト論を単純化して、救い主が本質的に神性を有することを否定するのを避けていた。
p.317
しかし、彼はサベリウス主義者よりもパウロスの様態論に近い立場を取っていた。おそらくその様態論は、ユダヤ人によるキリスト教教理の批判に影響された、より原初的な性質の様態論と思われる。エウスタティオスの三位一体論についてはほとんど知ることができないが、彼は三位一体において三つの位格が固有に存在することのできない仕方での統一性を表わす語として、「ホモウシオス」を解釈していたようである。
 マルケロスの教理についてはもっと良く知ることができる。彼によると神は唯一であり、父、子、聖霊として、三つの啓示の継続的段階としてではなく、行為の三つの様態として表される。…神の統一性を強調するが、それに対応する三位については強調することのないエウスタティオスとマルケロスの神学は、当然のことながらサベリウス主義の疑いを免れることができなかった。
…彼らはアレイオスを断罪しようとする確固たる決意をもって公会議に臨んだ人々であり、「ホモウシオス」を子の永遠性と神性を確証する定式と解釈していた。
p.321
エウスタティオスの件を審議するためにアンティオキアに招集された教会会議で、子どもを腕に抱いた一人の女性が証人として登場し、エウスタティオスが父親だと訴えた。…エウスタティオスの子どもの母と名乗った女性は、死の床で、主教に敵対する勢力から金を受け取って偽証をしたことを告白した(1)。
p.322
彼は父と子が同じ本質を持つと主張したが、両者を明確に区別するための表現に欠けていたので、教会会議は彼をサベリウス主義の提唱者と認定した。実際、この非難を証明するのは容易であった。エウスタティオスはアレイオス主義者と神学論争を繰り広げただけでなく、穏健な左派オリゲネス主義者であるカイザリアのエウセビオスをも従属論者であると非難して論争したからである。
p.324
 同じく東方の主教であり、確固たる信念を持って強硬にアレイオス主義を攻撃したアンキュラのマルケロスの場合は、彼自身がモナルキア主義に傾いていたため、異端宣告に持ち込むのは容易であった。アレイオスが死んだ三三六年、コンスタンティノポリスで開かれた教会会議においてマルケロスは「サモサタのパウロスの教理を教えた」罪により、異端宣告を受け、皇帝により追放された。
p.327
 一部のあるいは多くの人々が、ギリシア語でουσιαと呼ばれる本質をめぐる問題、より正確に理解するなら、ομοουσιον(同じ本質の)と、ομοιουσιον(類似した本質の)に関して、困惑させられているので、これらについては言及すべきではない。また、これらの語が聖書に含まれていないことを考慮し、そのことのゆえにこれらの語の意味を探求すべきではない。それらは人間の理解を越えたことである。また、「誰がその出生を語ることができようか」と書かれている子の誕生について、誰が語ることができるであろうか。ただ父だけが、どのように子を生んだかを知るのであり、ただ子だけが、どのように父から生まれたかを知るのである。父がより偉大であることは明白である。父の方が、栄誉、尊厳、威光、威厳、そして父という名そのものにおいて、子よりも偉大であることを疑うことのできる者はいない。子自らが「わたしを遣わした方はわたしよりも偉大である」と証ししている。父と子の二つの位格が存在し、父がより偉大であって、子は父に従属し、父は万物を子に従属させたこと、父には始めがなく目に見えず、不死にして不受苦であるのに対して、子は父から生まれたのであり、神の神、光の光であること、子の出生に関しては、既に述べた通り、子の父以外に知るものがないことが、公同の教会の教理であることを、全ての者が知るべきである(4)。
p.329
 「アノモイオス派」は、ギリシア語のανομοιος「類似していない」に由来する極端なアレイオス主義であり、子は「あらゆる点で父に類似していない」と主張した。子は父と同質(ホモウシオス)ではなく、類似した本質(ホモイウシオス)でもなく、異なる本質を持つ。子を神と呼ぶのは、その本質においてではなく、父の力と行為を分かち持つからである。厳密に言えば父だけが神である。なぜなら、神はその本性において生まれたのではなく(αγεννητος)起源も持たない(αγενητος)のに対して、子はその起源を父に持つからである。子は「生まれたのではない方から生まれた方」、「創造されたのではない方の被造物」、「造られたのではない方の作品」である。この極端に合理主義的な立場を代表していたのは、アエティオスとエウノミオスである。
 ギリシア語のομοιος「類似する」に由来する「ホモイオス派」は、「政治的アレイオス主義者」としても知られている。彼らによれば、父と子の関係は類似性にあるが、それが何を意味するかを彼ら自身も明らかにはしていない。
p.330
二つのものが類似しているということは、両者が異なっていることをも意味するので、彼等の立場は状況次第で様々に解釈することが可能であった。この立場の主導者であったウルサキオスとウァレンスは確固たるアレイオス主義者であり、状況が許す限りためらうことなくアノモイオス派を支援した。ホモイオス派は、父と子の類似についてていぎしなければならなくなるのを避けるために、「ホモウシオス」についての議論を避けようとした。ウルサキオスとウァレンスが、父と子の同質性もしくは本質の類似性について議論することを禁じるようコンスタンスに助言し、彼らが意図的にこの問題の議論を避けようとした背景には、こうした事情があったものと思われる。
 「ホモイウシオス派」は、ギリシア語のομοιουσιος「類似した本質」に由来し、時として「半アレイオス主義」と呼ばれるが、これは正確な表現ではない。彼らは、ニカイア信条がアレイオス派を非難したからというのではなく、サベリウス主義に対して無防備なことに対してはじめから危惧を抱いてきた人々の流れに属する。…「シルミウムの冒瀆」では、子が本質的に父と異なり、父と子の関係は「ホモウシオス」はもちろん「ホモイウシオス」によっても表現できないと宣言された。
p.331
 ホモイウシオス派がはっきりと形成されたのは、バシレイオスの指導のもとでアンキュラに教会会議が招集され、ホモイウシオス派の定式が作成された三五八年のことである。…ここで表明されている類似性によれば、創造主と被造物の区別において、子は明確に父に次ぐ存在であって、被造物の側にはいない。しかし、そのことは、父と子が完全に同一であるということを意味してはいない。一つではなく二つの実体(ousiai)が存在するからである。

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■「自粛要請に反し集会」牧師ら4人を告訴 ミャンマー
(朝日新聞デジタル - 04月15日 17:54)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6048224

 ミャンマーの最大都市ヤンゴンの管区政府は14日、新型コロナウイルス対策のための自粛要請に反して集会を開いたとして、キリスト教の牧師ら4人を警察に告訴した。これに対しアウンサンスーチー国家顧問は、「残念だ」と管区政府の決定に不快感を示す異例の声明を出した。


 集会の参加者のうち34人が新型コロナに感染し、同国の感染者74人(15日時点)の半分近くを占める。


 ヤンゴン管区政府などによると、牧師らは3月14、15日、ヤンゴン市内の少なくとも5カ所の教会などで集会を開いたとみられる。ミャンマー政府は同13日に感染拡大を防ぐため集会の自粛を求めており、これに逆らったとして、自然災害時の活動制限を定める罰則つきの自然災害管理法に基づいて警察に告訴した。告訴された4人は入院中で、警察は退院次第、捜査を始めるとしている。



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