mixiユーザー(id:12290887)

2020年01月11日00:00

2139 view

165,167系電車の思い出話。

 この日記は先月出す予定でしたが、忙しくて年を越してしまいました。改めて今回出させていただきます。

 11月末、大阪梅田の行きつけの書店でこの本を見つけました。
フォト


 この電車に乗車されたことの有るマイミクさんは結構多いのではないかと思います。
実際に私はこの電車のハンドルを握っていましたし、色々と思い出の多い電車でしたので早速購入。この本には165系と167系及び169系について書かれています。私は残念ながら169系の乗務はありませんでしたが、165系は日根野区、167系は宮原区所属車両を運転しました。
 どちらの形式も全盛期を過ぎた末期の乗務でしたが、空気バネのおかげでとても乗り心地が良く、113系よりも加速性能が良かったですね。
 165系は大阪駅発着の東海道山陽本線の定期急行に使用されていた時期もありましたが、関東や中部地区と比較すると新幹線延伸の影響で、活躍期間は短かったですが、関西地区独特の運用としては153系の新快速に少数のクハ165が使用されていました。このうちの1両は117系の登場で宮原区から大垣区に転属し、更にクハ455に改造されて仙台区に転属し、仙台地区のローカル輸送に活躍した車両もいました。

 改めてこの本を読むと165系電車は関東や中部地区の電車だと思います。

 日根野区の165系は国鉄末期に三鷹区から転属してきました。主に中央東線の急行アルプスに使用されていた車両達で、紀勢本線のローカル客車列車置き換えが目的でしたので紀勢本線のローカル運用が主体ですが、深夜に新大阪から新宮に向かう「魚釣り列車」と呼ばれていた快速列車の運用もありました。新大阪から紀伊田辺までは6両編成で、ここから新宮までは3両編成で運転され、紀勢本線の最終列車でもあったので結構利用者の多い列車でしたが、やがて運転区間も短くなり、遂には廃止されてしまいました。
 この165系は阪和線の日根野発和歌山行きの始発電車にも使われていました。この電車の出区検査のために3時台に起床し、留置線に向かいます。3両編成の165系電車の蓄電池を投入してパンタグラフを上げて、スイッチ類を点検してから全てのドアを開けて車内の点検に向かいますが、大抵の場合どこかのドアが閉まったままになっているのです。これは車両の老朽化によりドアの戸当たりゴムが固渋して固着しているのです。
 対処法は・・・ドアのある部分を蹴るとすぐにドアは開きますが、古い電車には大抵このようなトラブルが存在するものです。
 電車区の留置線から入出区線に移動し、日根野駅に据え付けます。
 和歌山に向けて運転しますが、大阪府と和歌山県の県境である山中渓駅〜紀伊駅間には雄ノ山峠という勾配区間があります。国鉄時代に貨物列車が運転されていた頃はこの勾配区間に対応するため電気機関車の前に更に別の電気機関車を連結して2両の電気機関車で貨物列車を牽引していました。それだけ勾配がきついわけでして、これが103系電車4連の場合は4ノッチを投入していても速度は62km/h以上は出なかったですね。
 これが165系3連の場合は、2両にモーターが8個付いている2M1Tの編成となりますので、結構スイスイと勾配を登っていましたし、下り坂では抑速ブレーキが付いていますので、ノッチを切位置から抑速3ノッチぐらいに入れていれば、一定の速度を保って坂を下っていきますので運転が楽でした。これが抑速ブレーキの付いていない103系、113系、205系になると、ブレーキ弁ハンドルを小まめに操作して速度が上がらないようにしていましたので、これらの形式にも抑速ブレーキを付けて欲しかったと思ったものです。


 ところで日根野区の165系の運転台には二つの大きな特徴がありました。
 一つは、ATSの確認スイッチの位置。
 もう一つは、謎のスイッチが存在したこと。


 まず最初にATSの確認スイッチの位置についてです。

 これは日根野区だけが独特というのではなく、165系の初期車の製造時期と、ATSの取付時期との兼ね合いなのです。
 実は165系の初期車が製造されていた頃、まだATSは標準装備ではなかったのです。大事故が連続して発生したことで、ATSの取付が決まったわけですが、まずは大都市の通勤電車から取付がスタートし、次に全国に広まったのですが、機関車から電車や気動車と全ての動力車に搭載されることになり、新製車両は製造時に取付ですが、既に営業に使われていた車両については後付けとなったのです。
 この時、運転士がATSの警報を確認したときに5秒以内に押すATSの確認スイッチの位置は重要なスイッチだから取り付け位置が統一されているものと思われるかもしれませんが、実は統一されていなかったのです。
 一般的に国電やJRの電車や気動車はATSの確認スイッチの位置は、主幹制御器とブレーキ弁に挟まれた場所、ちょうど運転士の正面にあります。よく見えるように白くて丸い大きなスイッチです。殆どの165系もこの位置ですが、初期製造車はこの位置ではなく、正面窓の下側に付いており、電気機関車のATSの確認スイッチの取り付け位置とよく似ています。
 では、この初期車の場合、標準的なATSの確認スイッチの有る位置には何が付いているのか?
 これには実例を挙げて説明しましょう。
 165系はATS−S型が付いており、JR化後にATS−Pが取り付けられましたが、これは確認スイッチを扱う必要はありません。
 とある大きな駅に接近し、ATSの赤色灯が点灯し、同時にベルが鳴動します。運転士はこの駅は停車駅で速度を落とす必要があるのでブレーキ弁ハンドルを操作し、主幹制御器とブレーキ弁の間にあるATSの確認スイッチを押します。これでATS−S型は確認したと回路構成され、赤色灯が消灯し、ベルが鳴り止み、チャイムが鳴動します。このチャイムは停車するまでそのままにしておきます。さて、ここでATSの確認スイッチの位置が違う初期製造車の場合、正しい取扱をすれば問題ありませんが、これを誤ってしまうとどうなるか?
 赤色灯とベルが鳴るところは同じです。ここで運転士は誤って主幹制御器とブレーキ弁の間にあるスイッチを押してしまいます。しかし本来の確認スイッチの位置は正面窓の下側です。押しているのは違うスイッチなのです。運転士は押しているのに赤色灯が消灯しないしベルも鳴動したままです。そして5秒後、ATSの確認がされないので非常ブレーキが動作します。そして同時に室内灯が消灯し車内が真っ暗になります。

 一体、運転士は何のスイッチを押したかおわかりでしょうか?

 答えは、パンタグラフ降下スイッチなのです。昔の国電は今のATSの確認スイッチの位置にパンタグラフ降下スイッチ、そしてそのスイッチの左隣にパンタグラフ上昇スイッチが付いていたのです。だから誤って操作するとパンタグラフが降下し、ATSが動作して非常ブレーキ、更にパンタグラフの降下により架線からの電気が断たれて室内灯が消灯してしまうのです。
 だから日根野区の165系について説明を受けたときに、この事は最初に説明されましたが、私は既に別の形式の電車でそのような実例の説明を受けていました。それは東海道山陽本線の新快速用の153系電車です。私が大阪電車区で運転士になった頃、指導員の多くは153系の新快速の運転経験者でした。大阪駅で到着運転士から引き継ぎを受けて運転室に入り、運転席に座ってから最初に確認するのはATSの確認スイッチの位置だったのです。その話を聞いていたので、日根野区の165系にも対応できたのです。
 余談ですが、東海道山陽本線の旧型国電の場合はもっと確認する事が多く、引き継ぎの運転士からどの形式が何両ということをきちんと聞いていないと加速やブレーキ性能が全然違うため、大変重要だったそうです。



 それから日根野区の165系電車の運転台のもう一つの特徴である謎のスイッチの存在についてです。
 運転室の配電盤にあった謎のスイッチですが、銘板に「横軽スイッチ」と書かれていた様な気がしますが、これとよく似た名称のスイッチは別の車両の運転台で見たことが有りました。その車両は特急「雷鳥」に使われていたクハ489でした。クハ165の配電盤に横軽という表示に驚いたのを覚えています。

 横軽とは、信越本線の横川〜軽井沢間の事であり、国鉄の中で最も急勾配の区間を走行するにはこの区間専用の電気機関車の助けが必要で、同時に編成としても特殊な取扱が必要でした。

 何で日根野区の165系の運転台にこのようなスイッチが付いていたのでしょうか?
 これまで私はこの車両は169系開発の試作車だったのでは? と考えていました。

 しかしこの鉄道ピクトリアルの増刊号にこの答えが載っていました。
 その部分を抜粋しますと、


 165系電車の横軽対策車と横軽対策改造

 165系900番代および169系電車の章にて記したように、当初165系は信越本線の横川ー軽井沢間において、EF63形2両による無動力運転が行われる予定であったが、さまざまな問題が発生したため、横軽対策を施工した車両(総計252両)のみ入線可能とした。
 改造内容は、空気バネ空気排出装置の取付、横軽スイッチ装置の取付、車体台枠を強化した。また、ブレーキ制御装置は、運転台や車掌室において車掌弁を取り扱っても非常ブレーキが作用しないように、吐出口に6φの絞りを取り付け、操作連動スイッチを増設してブザー回路に接続し、EF63形直流電気機関車の乗務員へ車掌弁操作を知らせて、運転中の不意な衝動を防止した。なお、これらの横軽対策を施した車両は、在来車との区別するため、車号の前にGマーク(●)を記した。

 と、有ります。ちなみに横軽対策改造車は、車号から既に製造されていた165系初期車両の一部に施された改造工事で、横軽対策車は新製時にこれらの内容を取り込んで登場した車両で、165系の中・後期車両の一部が該当します。
 それなら最初から165系ではなく169系で製作すればいいと考えるかも知れませんが、特殊な装備を持つ電車で製造価格も165系よりも高額だったものと思います。定期列車ではなく季節波動の臨時列車にしか使わないのであれば、165系にこのような改造を施して対応した方が良いと当時の国鉄本社は考えたのでしょう。そのためでしょうが、この横軽対策車と横軽対策改造にはサハシ165は含まれておりません。臨時列車用であればサハシは必要有りませんから。

 それから167系について新たにわかったことですが、この臨時増刊号に出ていたのは、宮原区の167系4連が岡山〜高松間の快速マリンライナーの運用に就いていたことですね。117系100番代の6連が快速マリンライナーの運用に就いていたのは知っていますが、167系まで使っていたとは意外でした。座席定員が多いのは良いのですが、途中駅の乗降に時間がかかったのではないでしょうか?

 165系や167系は今の時期は運転したくないですね。とにかく運転室の隙間風が酷くて寒さに震えながら運転していました。
 しかし走りは本当に素晴らしく、運転も楽しかった電車でした。
 この電車に乗った世代もエエ年したオッさん連中になってしまいました。急行電車という言葉自体が死語になり、説明するのも大変になりましたが、どこかで復活して欲しいものです。
6 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年01月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031