長崎の原爆資料館で購入した『原子雲の下に生きて』サンパウロ刊を読み終えた。爆心地からわずか七百メートルに位置した長崎市立山里国民学校(小学校)には、当時1,581名の生徒たちが在籍したが、原爆投下により1,320名の尊くも幼い命が、一瞬にして奪われることとなった。昭和20年8月9日11時2分のことであった。・・・それは、広島への原爆投下から3日目のことであり、終戦のわずか6日前の悲劇だった。そんな状況下にあっても、かろうじて死を免れることの出来た生徒たちの手記により上梓されたのが本書なのである。
純真な子供たちの目を通して見た、その日の長崎の悪夢のような光景が何の誇張も嘘もなく、ありのまま本書で語られている。そこからは「恐怖」「苦しみ」「悲しみ」「無念」「絶望」を経て、それでもなお「希望」を捨てることのなかった、生き残った子供たちの心の変遷が、活字となって僕に伝わってくるのだった。自分がこれまで知っているつもりでいた原子爆弾の恐さよりも、実態は遙かに恐ろしく悲惨なものであったことを知った。それを僕に教えてくれたのは、本書に名前と当時の年齢だけが表記された見ず知らずの子供たちが一生懸命に綴った手記だったのである。本書を買って良かった、と僕は心の底から思った。
ただ、読みながら一つ残念に思ったことがある。本書が漢字変換ミスによる誤字が多いということだ。編集の人手が足りなかったのか? 予算の関係上、校正者にお願い出来なかったのか? そんなことも考えてみたが、1949年に書籍化された本書が、1995年に文庫化されて第8刷を超えてもなお、誤植箇所がそのままになっているのでは、終戦から六年後に原爆症のために亡くなった、本書の編者で長崎医大教授でもあった永井隆氏と手記を寄せてくれた当時の子供たちに申し訳が立たないような気がした。
今、僕は赤ペンを持って本書を最初から読み直し始めた。誤植箇所に赤字を入れて付箋を立てるためだ。僕はプロの校正者でないので、完璧な校正は出来ないかもしれない。でも出来るだけの校正をして、発行所のサンパウロさんに、わずかながらの寄付金を添えてお届けしたいと思ったのだ。妻にそのことを話したら、妻も読んで校正をしてくれるという。ありがたいことだ、と思った。
「戦争はいやだ!」「原子爆弾は、ひどかバイ。痛かとバイ。 もう、やめまっせー!」「もう戦争は一生しない」「戦争のもととなりそうな思いを起こさないぞ・・・一生」
原爆で両親や兄弟を失い、先生や友達までも失った、見ず知らずの子供たちが僕に届けてくれた幾つもの叫び。そんな大切な叫び声の返礼に、名もなく何の力もない僕は、せめて赤字入れを終えた本を版元のサンパウロさんにお届けしたいと思っている。
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