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2017年03月04日04:03

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タクシードライバーの死

70年代のことだった。
ケンジントンハイストリートにある巨大ブティーク「ビバ」に「レインボー」というレストランが5階にあった。
そこのキッチンで5時から11時まで仕事をしていた。
私の仕事はクルーデテイーという生野菜をバスケットに詰めることだった。
アボカドやセロリー他を形良く小さなバスケットに詰めそれは4種類のマヨネーズと一緒に出された。

多くのシェフが働いていた。
コミシェフ、スーシェフ、ヘッドシェフそれにベイカリー専門のシェフ。
シェフだけで10数名の大キッチン。
一人のスーシェフと仲良くなった。
彼は話すと必ず神の御心について解くのでみんなの笑い者的存在だったが、裸の自分を見せられる強さを持っていた。
ある時の会話はその後何年も私の頭から消えず、今でも考えさせられるものだった。
それは宝くじのことで数名が軽い冗談を飛ばしていた時だった。
大きいのが当たったら仕事なんかやめて南の島でのんびり暮らすぞとかそんな話。
「そうだなー、そんな大金が当たったら分けてあげたい友達が数人いるわ。」
と私。
「そんなことしても役には立たないよ。」
と仲良しのスーシェフ。
「えっ、なんで?お金があれば住居問題が解決する人とか、うまくいってない結婚から独立できる人とかいるのよ。」
「そういうのは役に立たないんだよ。」
へえ、と思った。
神の御心に任せなさいっていうわけ?
と辛辣に思ったが口には出さなかった。
ともかく何故役に立たないのかわからなかった。
それからことあるごとにこのことについて考えたがやはり解らなかった。
信仰している人は全て神に任せ、祈るだけで効果があるって、それはおかしい。
何故社会問題や政治問題から解決していかないのだろうか。
だから信仰は人を無知にする、と当時無神論者の私は考えていた。

さて我が家の下宿人は午後から仕事に出かけるし、時々やってきて宿泊する孫娘はほとんど部屋で勉強しているかどうかは別だが、邪魔ではない。
自由に任せて先日からアンビリーバボーをYouTubeで楽しんでいる。
これは今日見たやつで何年も前のものと思うが、真面目なタクシードライバーがギャンブル好きの金にだらしない若いドライバーをなんとか真面目にしてやりたくて目をかけたためにおこってしまう事件だった。
やるせ無さが残った。
まあ、極端な例だが彼の親切というか親心はなんの役にも立たないどころか自分にまでも災いしてしまったのだ。

こういうことなのか、役に立たないって?
そうじゃないだろう。
タクシードライバーの間違いは連立保証人になることをきっぱり断るべきだった。
頼まれて受け入れることが優しさで親切ではなかった。
けど難しいところだろう。
一生の願いとかこれが最後だからとか懇願されて断るのは難しい。

さて今の私は信仰こそしていないが、神の存在は信じている。
それも随分と多くの神様がいらっしゃると。
下っ端の神から随分上の神様まで。
私たちがこの世に戻って肉体を通して勉強を重ね、やがて神の国に行けるというか神になるらしいと思っている。
なれなかったらこの世に戻ってまた勉強。
とまあ、そんな繰り返しなんだろう。

だからせっかく体験を通して勉強にきているのに、お金で解決してあげたら勉強にならない、役に立たないよとこういうことだったのだろうか、と思った次第。
https://www.youtube.com/watch?v=mUxCB3kRZ5E&t=1227s
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