そこはダリッチのパッブ。古い木の床に木のテーブルと椅子。3席空いたテーブルがある。あらかじめ予約を取っておいたというのでしばらく待つ。キッチンから時たまウエイトレスが現れるもののすぐまた消える。こんな風に待つことは、普通。やがて案内された席
で、どうだった?楽しかったの?男友達と香港、大阪、東京の小旅行から帰ってきた我が家の下宿人スコットに聞いた。彼のガールフレンドである次女は休暇が取れず参加できなかった。いやもう、楽しかったあ。香港はね、悪くなかったけど、是非また訪れたいとは
それでマリーさん元気?絵描きの親友とマリーさんは70年代二人とも家族持ちのヒピーだった頃に知り合い、以来お互いが助け合いながら生きてきた親友同士。絵描きの親友は浮気した夫と別れ二人の息子を育て、美大に通い50歳を過ぎて画家となった。マリーさ
ラテが死んだ。高校時代に知り合った絵描きの親友の猫。彼女も私同様英国住まい。コーンウオールの谷間の村に住んでいる。猫はミルクコーヒー色の淡い縞の大きな猫だった。なのでラテと名付けられた。親友は忙しい人でスタジオで絵を描くために、あるいは友人
今朝、再び我が家に住み始めた20の孫娘がKOKO誕生日おめでとう、何か食べたいものある?と言ってくれたので、忘れかけていた誕生日を思い出した。あら、ありがとう。昨日の残り物を平らげないといけないからいいわよ。と、断ったのは夜次女の家(貸家)に招
出かけなければならなかった。私の大好きなカメラ屋に。なぜならカメラが故障したから。チャージしたバッテリーを入れスイッチを押したが反応がない。ピクリともしない、死んでる。チャーリングクロスの駅から右に。ストランドにあるこの店は小さくてオールド
2時間近いドキュ動画なのでお時間のあるときにどうぞ。いやもうね、裁判所の中もそうなのか、裁判長になるため、裁判長になったらより高い地位をと願う出世欲。裁判所、裁判官いやその前にずさんな取り調べをして自白だけに頼った警察、検察官みんな訴えたく
夕刻だった。近所のスーパーに出かけた。23必要なものを買って店を出た。その時外は暗くなっていた。いつものように歩いて帰るつもりだった。ところがバスが私の横で止まった。一駅だけだけど早いから乗ることにした。ポケットに手を入れてパスを探した。な
70年代のことだった。ケンジントンハイストリートにある巨大ブティーク「ビバ」に「レインボー」というレストランが5階にあった。そこのキッチンで5時から11時まで仕事をしていた。私の仕事はクルーデテイーという生野菜をバスケットに詰めることだった
その日友人は我が家においていたたくさんの荷物のいくつかをボーイフレンドに頼み車に積んで出発した。もともとこのボーイフレンドと彼の友人S(男性)との共同生活だったのが、Sと長いことうまくいかなかった。思い余ってそこを出ることにした。そして我が家
どんな人生にも山あり谷ありだが、静かな老後を過ごせたらこれこそ本望だろう。私は5匹の猫たちと下宿人一人と暮らしている。静かといえば静か。返すべき借金があるわけでもないし貧乏とはいえ恵まれていると言える。中年の二人の娘がいる。長女は3人の子持
一昨年の秋、たくさん実った庭のりんごを新聞紙に包んでプラスチックの箱に詰め庭の小屋に保管したのだが、残念ながら暖冬のせいで腐ってしまった。なので昨年のりんごは保管しなかった。そしてそれは正解だった。不思議なほど暖かい日々が続いている。次女の