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2017年02月01日22:55

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追悼、ジョン・ウェットン

今度はジョン・ウェットンが亡くなってしまった。
闘病生活を送っていたなんて知らなかった。結腸ガンだったそうだ。
67歳、なんにしても早すぎる。多くの朋友が向こうにいるにしても、だ。

かつてロバート・フリップに「英国一のベーシスト」と言わしめたウェットン。

キング・クリムゾン、U.K.、エイジアといったプログレ界のメインストリームを歩き、参加したバンドにはロキシー・ミュージック、ユーライア・ヒープ、ウィッシュボーン・アッシュといった錚々たる名前が並ぶなど、そのキャリアはまさしく華麗と言うに値する。
シンガーとして、あるいはソングライターとしても稀有の才能を持っていた。

80年代のクリムゾン再結成を痛烈に批判し、その彼が結成したのがポップなエイジアだったというのは、なんだかな〜という思いがしたものだが。

ベーシストとしてのキャリアのピークはやはりクリムゾンとU.K.の70年代だろうか。この時期の彼のプレイは本当に凄まじい。ことにクリムゾンでのビル・ブラフォードとのコンビはロック史上最強のリズム・セクションと言っても過言ではない。
それがU.K.になるとロック志向のウェットンとジャズ志向のブラフォードにズレが出始め、1stアルバムは噛み合わなくなるギリギリのところで纏め上げた奇跡のような作品になった。

ロキシーはともかく、ユーライア・ヒープとウィッシュボーン・アッシュではバンドを引っ掻き回して去っていったという印象が拭えない。
とはいえ、ヒープでは前任者ゲイリー・セインの影を吹っ切るようなメロディックなベースを聴かせ、アッシュでは前任者マーティン・ターナーに負けない音圧で聴かせた。そのあたりのミュージシャンシップの高さはさすがで、それぞれのバンドに在っても違和感はなかった。

ところが80年代に入り、自ら中心になって結成したエイジアはプログレ風な非常にポップなバンドだった。
しかし、これが大成功を収める。
当時「これがプログレ界のビッグネームを集めたバンドかよ」と悪態をつきながらよく聴いた。とにかくグレードの高い作品だったのだ。セールス的には前作に及ばなかったものの2ndでも好調を維持していた。

ただ、エイジア結成後のウェットンはヴォーカルに重きを置いていたようで、ベースにはかつてのような閃きは薄れてしまっていた。歌えるベーシストではなく、ベースも弾けるヴォーカリストになってしまった、フリップが英国一と称えたベースはどこに行ってしまったのだ、と残念に思ったものである。

そのエイジアもメンバーの出入りが激しくなり、ウェットンが離れていた期間も短くない。近年はオリジナル・メンバーが集結し活動していたようだが、そんな中での訃報となった。

ウェットンに神懸り的なベース・プレイを求めるのは聞き手の勝手な願望である。
彼はベースを弾きながらもっと歌いたかったのかもしれない。ベース奏者としての誇りを持ちつつも、フロントマンとして脚光を浴びたかったのかもしれない。だとすればエイジアこそ彼が求めていたものだったと思えなくもない。
67歳という年齢を考えればまだ道半ばだったろうが、彼は自分の音楽人生を全うできたのだろうか。
いろいろな事情があったとはいえ、彼のバンド在籍期間はいずれも短い。自らが中心になって結成したU.K.も短命に終わり、エイジアですら離脱していた期間が長い。
常に新たなものを求めていたのか、あるいは単に飽きっぽいだけなのか。その真偽は知る由もないが、ただ言えるのはだからこそいろいろなバンドで彼のプレイが聴けるということだ。

では、彼が参加したアルバムからいくつかを紹介。
ソロ・アルバムにも優れたものはあるが、バンドという制約の中でどう個性を主張していくかが、リズム隊のおもしろさだと思うので、あえてバンドの作品から選ぶことにする。

キング・クリムゾン:暗黒の世界(Starless And Bible Black)、1974年
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クリムゾン時代を挙げないわけにはいかない。ライヴ音源が次々と発掘され、この時代のクリムゾンがいかに凄まじいか衝撃を与え続けている。
向こうの世界に行ってしまったような問題作という点では『太陽と戦慄(Larks' Tongues In Aspic)』、楽曲の完成度では『レッド(Red)』ということになるだろうが、演奏能力の高さを聴くならこれ、ことにLP当時のB面のインスト2曲ということになろう。ウェットン&ブラフォードをロック界最強のリズム・セクションと言うのに躊躇いがあるとすれば、それはロックの域を超えてしまっているからだろう。

ユーライア・ヒープ:幻想への回帰(Return To Fantasy)、1975年
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リード・ベースを縦横に弾きまくるゲイリー・セインの後任でも彼らしいベースを聴かせるのはさすが。バンドの勢い自体が下降気味な状況でリリースされた本作だが、実力バンドらしい完成度は維持している。冒頭のタイトル曲は往年のヒープを髣髴とさせる名曲。次作『High And Mighty』では曲作りとヴォーカルも担当することになるが、彼のヒープ時代はここで終わるとともに、ヒープ自体も崩壊の危機を迎えてしまう。

U.K.:憂国の四士(U.K.)、1978年
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クリムゾンの同僚ビル・ブラフォード、ロキシー時代の朋友エディ・ジョブソン、スーパー・ギタリストのアラン・ホールズワースと結成したいわゆるスーパーグループ。英国プログレ落日の輝きを誇る。まさにプログレが終わったことを象徴するアルバム。実はこのアルバムがメタルに与えた影響は大きいのではないかと密かに思っている。ウェットン&ブラフォードのコンビは噛み合わなくなる寸前のギリギリのところでとどまっている。そのスリリングさが魅力でもあるが、これ一枚で袂を分かってしまったのも納得できてしまう。

ウィッシュボーン・アッシュ:Number The Brave、1981年
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米国進出が失敗した英国抒情派ツイン・リード・バンドは英国に戻り一定の成果を収めるが、オリジナル・メンバーでリード・シンガーかつ音圧の高いベースを弾くマーティン・ターナーの脱退という危機を迎える。そこに招かれたのが彼だった。前任者に負けない音圧の高いベースはさすがだが、どうせなら彼のヴォーカルをもっと増やせばよかったのにと思う。曲作りや歌唱面でもっと活躍できると思っていた彼はこの一枚で見切りをつけた。ヴォーカルの弱さが気になるとはいえ、この時代としてはよくできたロック・アルバムである。コーラスで参加したクレア・ハミルの美声が心地よい。

エイジア:詠時感〜時へのロマン(Asia)、1982年
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プログレ逆風の時代に売れに売れた。それはこれがプログレではなかったからだろう。エイジア結成はプログレに見切りをつけシンガーとしての活躍を目論んだジョン・ウェットンのやけっぱちの戦略だったのかもしれない、なんてことを思う。そのくらい開き直っている。もはやジャーニーやスティクスやTOTOらアメリカ勢との区別が付けられない。敢えて英国的な要素を言うなら湿り気のあるロマンティシズムと彼のジェントルな声ということになろうか。
とはいえ、全てにおいてクオリティが高く、文句や非難を抑え込んで聴かせてしまう力がある。
当時たぬ〜のためにテープに録音した記憶がある。ロック好きでなくてもアピールするものがあったということだろう。

なんにせよ早すぎる死に衝撃を受けている。
数年前にエイジアとして来日したときに観に行っておけばよかったと後悔している。
今はただ冥福を祈るのみ。
彼が遺した名演・名盤はいつまでも聴き継がれていくことだろう。

これからはこうしたつらいニュースがもっと多くなるのだろうな。。。
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