mixiユーザー(id:17922359)

2016年10月04日10:44

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今の僕がK氏の事が気になり、書けた理由

  「学問を通した仲間意識」だろう。学び方は違うが、自慢ではないが、今の僕も色々と学んでいる。歴史関係を学ぶ度にK氏の事も思い出されて、色々と考えるわけである。でも、付き合っていた頃は僕は余り勉強していなかったから、K氏を学士としては見なかった。関心も余り持てなかったわけだ。同じ会に所属したり、一緒に酒を飲んでも仲間意識は生じないようである。仲間意識を持つ相手は、自分と似たものを追及する人に対してに限られる。例えば、僕は身体障碍を持っているが、体の障碍からは仲間意識は実際には生じないのである。早い話、僕は絵は描かないが、身障の画家の星野富弘氏に仲間意識を持った事はない。星野氏とは追求するものも、生き方や価値観も大きく違うわけである。その代り、学問に限らず、スピリチュアル性とか、仏教や儒教に関心を持つ・求める人に対しては非常に仲間意識を持ち、フェイスブックでもそのような人たちと交友している。あるいは、今と言うより、近代以降の資本主義やマルクス主義、ファシズムなどに疑問を持つ人たちとか。ソ連などは崩れたが、近代文明の次のものが出ない限りは世界は良くならないと僕も見ているから。


  それはハンセン氏病元患者たちを思い出しても、別の面で言える。自分の受けた差別みたいな事を元患者たちが語る相手は医学生と看護学生に限られているからだ。一つにはその差別理解には医学知識が必要な面もあるが、それ以上に元患者たちの仲間意識を向ける相手は医学関係の人たちに限られているからだと。元患者たちは極めて体が弱く、常にカゼも引く。立場は違っても、一緒に医学の発展に貢献する人たちに仲間意識を持つのも当然ではないかと。日本だけでもなく、世界中に言える事だと思う。やはり、元患者の伊藤まつさんも最初は僕に何らかの仲間意識を向けていたようだが、僕は余りカゼも引かない体質である事が判り、医学とも別次元の問題である事も判ると、自分との違いについて考えこんだようだ。それでも、僕を可愛く感じてくれたから、縁は続いたが、看護学生たちに話したような事は僕にはついに話さなかった。

  因みに、大昔から仏教・儒教・キリスト教・イスラム・ユダヤなどと各宗教は分かれ、その宗教内でも対立があるが、愛やぜいたくのむなしさなど、共通の教えもある。共通する部分から新たな仲間意識が生まれ、世界平和に貢献できないかとも思う。そのように考えているのは僕だけでもないだろう。とにかく、各宗教が愛や平和を説きながら、ケンカや戦争ばかりしているのはおかしいわけである。その事は別の機会に書く事もあるかもしれない。

(付け加えると、「学校では、仲間関係ができない」という話をよく聞く。児童・生徒は教えられる存在であり、受け身だからだと思う。仲間意識や仲間関係は積極的に何かを求め合わないとできないものだから。例えば、地域のスポーツクラブや、将棋クラブみたいな子供の任意参加のものでないと、子供の仲間意識ははぐくまれないのではないかと)

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