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2016年05月31日09:44

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Y子さんの哀れさ・「ホイホイ勧めた人」の続き

  僕と出会った時のY子さんは先に書いた通りでしたが、それ以前の事に想いを馳せてみました。
  Y子さんは1954年(昭和29年)秋田生まれ。大学に入る為、1973年に東京に来て、そのまま例の福祉会に入った。まだ社会経験も、人との付き合い方も学べていない時期にいきなり、問題が多いS園に行った。その福祉会は新人でもS園などを見学させずに、いきなりボランティアとして介護などに当たらせた。S園は部屋によって障碍の種類は違いましたが、寝たきりの身障者もいれば、重い知的障碍を持つ人もいる。重複障碍児も。Y子さんもショックには違いなかった。恐らく、秋田ではそのような所は見ていなかったでしょうから。それゆえ、極めて印象に残り、考える事もできなくなり、ただ人をホイホイ連れて行くようになったと。
  卒業後はそこの職員になりましたが、何分、人付き合いも知らぬ身。ボランティア感覚でやり続けて失敗し、後、身障者のサポート活動も同様に失敗し、多くの身障運動家たちから叩かれ、Y子さんの社会的な人生は幕を閉じたわけです。まだ20代で。
  僕が出会った時は確かにおかしかったですが、Y子さんをおかしくさせたのは、その福祉会の新人に対する無責任な扱いの伝統でした。Y子さんと言うより、その福祉会の罪は非常に重いわけです。1979年には潰れましたが、それも当然でしょう。Y子さんは一生を棒に振ったみたいだし、他にも一生を棒に振った人もいます。僕が見ていない人たちにも、いるかもしれない。恐ろしい会でした。
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