「不運ならば、運不運を忘れるほどに仕事をしてみよ。」(京セラ創業者、稲盛和夫)
人間誰しも運、不運があると思う。特にいきなり華やかな舞台に立てる人たちというのは生まれつき強運に恵まれているか、運の強い時期であることが多いものだ。芸能人なんか殆どそうだ。たまたまスカウトマンかプロデューサーの目に留まるか留まらないか、それだけの差でしかない。新人賞を獲得する作家の作品もそう。たまたま編集者の目に留まるかそうでないかでほぼ決まる。
どんな素晴らしい演技力、歌唱力を持っていても、スカウトマン、プロデューサーの目に留まらなければ、それでおしまい。
どんなに優れた作品を書く力があって、その作品が力作だったとしても、審査員の目に留まらなければ、ゴミになるだけ。
では落選した人たちは、才能が無かったのか?
それは違うだろう。
単に運が無かったのだ。
でも「運も実力のうち」という意味不明な言葉を個人的には認めたくない。
稲盛氏の言の葉は正にそういう人たちを励ますものといえる。
運は無いかもしれない。しかし才能を磨きあげることは誰だって出来る。才能が本当にあれば、いつか開花するはずである。華やかな舞台を目指す才能も、黒子を目指すのも同じ才能だと思う。
こんな逸話がある。
ある侍の一行が夏にお寺に立ち寄った。
小僧がお茶を侍にふるまった。
よほど喉が渇いていたのだろう、この侍は一気に飲み干し、お代わりを所望。
すると今度はこの小僧は少し少なくして出した。
またまたこの侍はうまそうに飲み干しては、お代わりを所望した。
この小僧は更に少なめにして出した。
この侍、飲み干すと、大満足で
「うむ。気にいった。お前を家来にしたい。」
と言った。
さて、この2人、誰と誰だろうか?
実は侍の方が豊臣秀吉、小僧は石田三成である。秀吉は三成の心配りにいたく満足して家来にしたようである。なるほど、お代わりというと、もっと多めに誰もが出しがちだが、欲しがる方は必ずしもそうとはいえない。少しで良い場合だってある。人を察する力が無いとこういうことは出来そうで出来ない。
石田三成という人物はお茶くみで大出世の糸口を掴んだ人物ともいえる。小さな仕事にも才能というポールポジションは必ずあるという逸話である。ただし叩き上げで才能を開花させた人たちに聞くと、一様に一心不乱にやり続けているうちに、いつの間にか楽しくなり、そこを突き抜けると、開花することが出来たという。一心不乱にやることはなかなか容易なことではない。中途半端な取り組みでは楽しみが苦しみになってしまうだろう。
とはいえそこまでやり続ければ、運不運を超越した境地に誰でも達することが出来るというのは元気の出る言の葉ではないかと思う。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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