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2016年01月24日01:57

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写真展

 外苑西通りの六本木辺りで滅茶苦茶急いでる車を見かける。きっと身代金の受け渡しに向かっていて、時間に遅れると人質が殺されるのに違いない。その車に気を取られて、うっかり信号無視しちゃったし。
「やべ!赤だ」と一旦停止するが、停止線は遥か通り過ぎている。此所に停まっていると却って迷惑になるので、他の車が未だ動いていないのを確認して、そのまま信号無視続行。

 さて、今日はラルティーグの写真を観る。
http://fujifilmsquare.jp/detail/15110304.html
 自動車レースの写真は有名だ。当時のカメラで速い被写体を撮ると歪んでしまうのだが、それが逆にスピード感を表現する結果になった。最新のデジカメでは、そんな事は起きようが無いが後からフォトショで創れるから「習作」と称して創ってみようかな?
 それ以外の写真には別段感動は無かった。

http://fujifilmsquare.jp/photosalon/tokyo/s1/16012201.html
http://fujifilmsquare.jp/photosalon/tokyo/s2/16012202.html
http://fujifilmsquare.jp/photosalon/tokyo/minigallery/16012203.html
 ついでに観る。写真の方が絵画・彫刻より難しく感ずる。
 絵画・彫刻は作者の技術が反映される。例えば伊藤若冲の日本画の筆の勢いの良さとか。
 写真は誰でもボタンを押せば撮れる。尤も技術が求められない訳ではない。シャッタースピードと絞りの選定・レンズの選択・構図、間違えば駄作となる。だが絵画・彫刻に比べれば微々たるものだ。
 写真が最も難しいのは「被写体を何にするのか」ではなかろうか。
 私は若い頃「感動出来る風景に出逢えれば、素晴らしい写真を撮るのは容易だ」と思っていた。半分合っているが半分間違っている。
 「>感動出来る風景」或いは絶景という物は、映像単体で存在することは稀だ。「感動」したのは映像に対してではない。例えば多くの人が「絶景」と感じる山頂の景色。それには登る過程の苦労が加味されている。そうした「感動」をも写るように「単なる映像」をどうするかという問題は至難の業だ。
 ていうか、そもそも感動出来る被写体に出逢う事が至難である。
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