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2015年08月27日20:36

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『論語』の言の葉(8月28日)

「君子はその位に素して行ない、その他を願わず。」(『論語』)

 この中国の古典には君子という言葉が何度も出て来る。当時の官僚のことを云った積りでも、現代に生きる我々に投影させることは出来る。

 口語訳は今、此処に全力投球して、その他のことは願わない、そんな意味だろう。

 これが今、此処をやりくりする力を最大限発揮する力である。偉人たちの多くは今、此処を上手くやり繰りして、偉業を為した。
 
 豊臣秀吉は最初、信長の馬番だった。馬が腹をすかせていると、自分の給料を割いてまで、ニンジンを買って食わせたという。草履取りの時の逸話はあまりにも有名だろう。真冬、主人信長が履くのに冷たいのでは気の毒だとばかりに、懐に入れて温めていた。もし秀吉が最初から天下統一を目標として居たら、バカバカしくてやっていられないはずだ。ただひたすら、今、此処に全力投球し続け、その結果天下が取れたというのが本当のところではないか。

 エジソンは小学校を3年生で退学。その後事故で聴力が低下してしまった。一見物凄いハンデに聞こえる。しかし後年、こう語っている。


「自分が発明王になれたのは、小学校に行かなかったからだ。それに耳が不自由なおかげで、子供が読まないような難しい本もたくさん読むことが出来たし、どんなに騒がしいところでも、ぐっすり眠ることが出来た。妻を口説くときは、肌が触れ合うぐらい密着出来る理由になったし、結婚してからは、妻の愚痴を聞かずに済んだ。何より蓄音器、電話の発明は、そももそ耳が不自由だったからである。」彼もまた、今、此処に全力投球し続けた偉人である。

 今、此処に全力投球すれば、思いもつかないことすら叶ってしまうことがある。バラ色の未来を夢見ていても、今が不満だらけならば、未来だって矢張り
不満たらたらの未来のはずである。

 「今」とは刻々と変化している。

 新しい「今」がどんどん生み出されていく。過去とは過ぎ去った今、未来とは未だ来ない今のことである。確実に生きられるのは「今」しかない。「今」しか存在しないからである。

 「今」を受け容れることが出来たならば、どんなに辛い思い出も、「あれでよかったのだ。」という考えに変わるかもしれない。

 非常に重要なことなので繰り返すが、全て「今」にたたみこまれている。バラ色の未来にするのも、過去にするのも、全て「今」がポイントになってくる。

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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