金銅の太刀や馬具等も見付かっています。かなり高貴な方がこの河内長野に居た様です。時代は更に古くなり、縄文時代へ。火焔土器やサヌカイトの石包丁等も出ています。外環状線の工事等で出てくる様です。これで行くと、もっと深く掘れば更に古い時代のものが
渡来人によって伝わった仏教とともに火葬の風習が伝わりました。市域には高向氏を始め渡来系が多かった為、いち早く仏教や火葬を取り入れたと思われます。
烏帽子形城跡が国の史跡になりました。河内名所図会に描かれた烏帽子形山を見ると烏帽子形の意味が良く分かります。でも今の山容を見ると河内名所図会とは大違いで、とても烏帽子形には見えません。