mixiユーザー(id:33720481)

2017年06月11日21:27

187 view

アマルカルド

フェリーニのアマルカルドをテレビで見ました。1974年シャンゼリゼ大通りの映画館で見たのが一回目です。1973年制作だから おそらく封切り。ものすごく感激して、その前に" 道" , ”甘い生活” と”8 1/2" を見てたのですが、それ以来、フェリーニによって私の人生観が作られ、鍛えられた、と思っていました。そのあと80年代に一回見ました。ともかく40年ぶりで はりきって見たけれど、やはりテレビ画面だと 名場面の感動も半分以下で、一生懸命に 前に見た時の感覚を反芻させても いまひとつしっくりいかなかった。アマルカルドというのはファリーニの生まれた地方の言葉で" 私は見た" という意味だと今日知りました.たしかに、「こんなことがあったよ、いや、ほんとうで僕はいつも見たとおりにしか話さない」と言うと「またまた、君は話をおもしろく作るから」と思われ「いや ぼくはほんとうに・・」と、そんな逸話を集めています。
やはり 極め付けは、(1)ファシスト讃歌のさなかに停電になった町の 鐘楼からバイオリンの奏でるインターナショナルのメロディが流れてくるところ、(2)アメリカの豪華客船が沖を通るというので町中の人々が沖へと漕ぎ出して待ちかまえるなか 満艦飾のイルミネーションをつけて画面からはみ出す大きな船体が通過するところ、(3)雪の朝 噴水に止まり大きく羽を拡げる孔雀、ですね。そしてガキどもはかならず 盲目・片足のアコーディオン弾きをからかい そのたびにアコーディオン弾きは癇癪を起こしてやたらに杖を振り回す。
細君にもこの感動をと、眠らせないように「もうすぐいいところだよ」とか励まし続けましたが、あまり感激しなかったようで、男や子供の悪ふざけにはつきあってられない、と思っている.たしかに映画の中でも 主人公の母親は ばか騒ぎはいいかげんにしなさい、といった態度でした。細君は" 道 " を見たとき、 大人になれない男のため 連れ添う女がいかにに悲しいか、が描かれているのに感激したそうです。そんな男や子供(=与太郎)が楽しくやっていてもなにもおもしろくないようです。

3 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する