何年経っても覚えられぬものがある。鍵をどちらに回すと開き、どちらに回すと閉まるか。いつも間違える。そしてB'zファン名折れのものがある。MayとRing、曲名があべこべになる。今日も聴きながら、間違えていた我輩であった。
電子レンジが壊れたので、遂に買い替えた。勝手に止まるのを騙し騙し使ってきたのだが、云うことを聞かなくなってしまったのだ。調べてみると、1995年製であった。25年も頑張ってくれた訳である。人生の半分以上を共にしたと思うと、感慨深い。写真に自分が写
傘が壊れて新調してから、持って出る度に雨が降らない。そして、降らない筈の日に持たずに出掛け、降って使う機会を失する。本日も、日付変わる頃に事務所を出たら、まさかの本降りである。毎日持ち歩けば、雨を降らさぬ効果があるのではないか。だが、降らな
タイトルは、先日亡くなった評論家、立花隆の著作である。歴史小説ばかり読んでいた小学生当時、父親がたまには他のジャンルもどうかと勧めてくれたものだ。五百頁程もある浩瀚な書籍で、理解するのに苦労した記憶がある。もう三十年も前のことであり、内容は
最近の邦楽に耳を傾けていると、よく気になることがある。ら抜き言葉が多いのだ。言葉は変わるものである。誤用が一般化し当たり前のことになれば、いつの日かひとつの正しい語法とされる。現在の言葉も、そのように作られてきたものである。言葉と云うものの
耳鼻科で処方して貰った薬を飲んでいるが、夜半になるとくしゃみ連発である。アレルギーテストではスギしか反応が無く、原因は疲労であろうと云われた。それを証明するかのように、勤務後半になると調子が悪くなってくる。今日もゴミ箱をティッシュで満たした
B'z Partyの更新により記念品が届いた。ファンの中では短い20年程度の会員歴たが、今回の物は気に入った。持ち歩きたい気持ちである。嗚呼、お二人の姿をライブで観たくて仕方無くなってきた。そんな我輩であった。
8月末に44年の幕を降ろすとのことである。思えば、花柄シャツやベルボトムを買い始めたのは、ここであった。より刺激的な服を求めるようになり足が遠のいたが、十数年前は脚繁く通ったものだ。感慨深いものがある。ふと店内を歩いてみた。奇しくも丸井で買っ
テレビを買い替える前のリモコンは、電源ボタンと1チャンネルのボタンの押し間違いが頻発した。深夜の寝る前、テレビを消そうとしてNHKが映る訳である。そして映像散歩、外国の街並みや山の風景が目に入り、ついつい観てしまうのである。あの、淡々と美しい
石原慎太郎の言葉で好きなものがある。酒を飲まない奴は野蛮人だ。深い言葉である。最近思い出して心に沁みている、我輩であった。
先日、劇場で観て、会場先行のブルーレイも買って再び鑑賞した。ガンダムはいい。血が騒ぐ。自分もニュータイプになれる気がしてくる。だが現実は、オールドタイプの化身のような我輩であった。
スーパーで、プライベートブランドのお好み焼きソースを買った。見た目は同じ、だが味のレベルが全く違っていた。おたふくソースは伊達じゃない、そう実感した我輩であった。
香るホップ、後味はスーパードライのような印象である。なかなか粋な味である。ウォーキングしながらのビールは美味い。走りながらではビールは飲めぬ。益々走らなくなりそうな、我輩であった。
爪を切る音は、何故に部屋に響くのであろう。面白い程に反響している。親指の爪を切る音は期待通りに大きく、小指の爪を連続で切るのも面白い音である。これは音楽そのものである。本当にどうでも良いことに喜びを感じている、我輩であった。
季節外れの鼻炎が酷かったので、耳鼻科を受診した。軽い問診後、鼻の中を見ますねと云われ、すぐに鼻腔にカメラを入れられた。気持ちの準備をしていなかったので、流石に少々狼狽えた。カメラで見てみると、鼻腔内は内臓そのもののグロテスクさである。結果は
ボスの指令により、職場で右脳人間か左脳人間、自分がどちらかテスト出来るサイトを利用した。社員全員である。以前にも使ったことがあり、結果は見えており内心辟易したが、仕方無くやった。勿論、思い切り右脳人間である。87パーセントと云う数字を叩き出し
表情筋が衰えそうである。かと云って表情筋のトレーニングなどしたくない。不自然だからだ。爆笑が足りぬ。自粛の所為である。老けたらこの状況を呪うであろう、我輩であった。