僕は島田から離れたのか・旧友たちへのメールから 確かに、物理的には一年しか続かなかった。でも、そうする事だけが関わりでもないし、第一、僕と付き合った園生たちもその2年後には別の所に移り、内、二人と文通。特に、寝たきりの文士の野口栄一君とは
心の向きが反対である事に気が付かされる。「仲良し」は感覚や気が合う人たちだけに限られるから、まずは狭くなる。また、それらもエゴの働きであるし、心のメッキみたいなものである。メッキが剥がれた時に、エゴとエゴがぶつかりそうになる。その場合、
「今の(世界の)畜産は、第二次世界大戦の時の(食料や武器の)大量生産の延長。それ故に生命の視点はない」という以下の文の貴重なコメントを(フェイスブックで)頂きました。その人にまずは感謝します。 そう言えば、友人が見せてくれる鶏や豚の畜産場