一旦山頂まで登ってから左に巻きながら下ると古墳の入り口を見つけた。横穴式石室古墳千数百年前の古墳で内部は小岩石を以って見事に築き上げ石潔で幾重にも補強され正面に石棺を安置した棚石がある。
伊太祁曽神社境内に三基の古墳群が残っており、1号墳は「天岩戸」とも呼ばれている。奈良時代初期(8世紀)頃のもので、神社の鎮座年代ともほぼ合う。径16mの円墳。
伊太祁曽神社の向かいに古墳があります。どこに古墳があるのか?山全体か?とか思いながら登ります。タイムカプセルと石碑がありました。
神代の昔 須佐之男神と五十猛神は高天原より天降る時、新羅(韓国)の曾戸茂梨に降り立ちますが「此の国には居りたくない」として舟を造り東に渡り、出雲國の簸川上の鳥上峯に至ります。その後、須佐之男神は大蛇を退治し五十猛神は妹神と共に日本全国に木を
境内南側を少し山の方へ上がると祇園神社があります。神社の主祭神・五十猛命の父神である須佐男命をはじめ、天照皇大神・埴安比賣命をお祀りしています。「祗園さん」と親しまれ、毎年旧暦6月7日夜に「祇園祭」を執り行っています。
境内山中西側に鎮座する神社で、井戸の神「御井神」と水の神「彌都波能賣神」をお祀りしています。神社の前に湧き出る井戸水は「いのちの水」として、病気平癒祈願の方々が汲んで帰ります。
境内の山中に井戸があり、清水が湧き出ています。病気平癒を祈願する方はこの水を頂いて病人に飲ませると心身の爽やかさと活力を得ることができるという、いのち神の信仰があります。
御神木としてそびえていた杉の木の一部。大屋毘古神が木の俣を利用して大国主命を助けた神話にちなんで、この穴を潜り抜けると災難を除けられると言われている。