(三日目)
朝は異常に寒かった。
寒いのは当然である、
ウランバートルですら標高は1,300mを越えていたので、
それよりも西へ来て標高も高くなっていたのでおそらく1,500m程度にはなっているのであろう。
緯度も稚内よりも北のユジノサハリンスクと同じくらいである。
日本でいえば、利尻岳の真上で寝泊りしているようなものである。
気付けば山の頂上のように雲が間近に見られるようになっていたし…。
朝も近くの食堂ゲルで食べ、ようやくホーストレッキングツアーに出発である。
ツアーは、このツーリストキャンプから100Km先にあるカラコルム(ハラホリン)にある、
エルデニ・ゾーを目指すものである。
馬は一人一頭、近くに住んでいる遊牧民の人から借りることになっている。
遊牧民の人から見れば、
観光客に馬を貸すので現金収入が得られ、
さらに馬に移動中にたくさん草を食べさせられるので一石二鳥なのであろう。
馬が来てそれぞれが好みの馬を選び、そのまま出発してしまった。
「何故か自分用の馬がない」
馬が一頭足らないのである。急遽、もう一頭借りて出発したのである。
そのせいで、既に周りからはかなり引き離されてしまった。
追いつくために、事もあろうに遊牧民の人が馬に鞭を放ったため、
馬は"歩き"から"早歩き"になってしまったのである。
馬に乗る事自体初めてなのに、いきなり早歩きしたため、
体が上下に揺らされて、鞍にお尻を叩きつけられる状態となった。
とにかく激痛だけであった。
「このままではいけない」と思い立ち、
遊牧民の人を見てみれば、裸馬で乗っているのである。
この時の乗り方を見ると、お尻はまったく馬につけていないのである。
それを真似てみると、
意外にも馬乗りが安定してきたのである。
その内、乗っていた馬自体も安心してきたのか、動きも落ち着いてきたのである。
90分乗り、途中休憩となった。 「休憩 = 食事」である。
このツアーは荷物車と食事車およびコックが同行しており、
食事のたびに食堂車から移動式かまどを設置して、食事の支度を始めるのである。
そのため食事は大仕事であり、2時間以上その場で留まることになる。
ただし留まるとは言っても、
日陰があるわけではないので、ずっと直射日光にあたり続けるのである。
とにかく脱水症状にだけは気をつけなければならないツアーである。
食事は「ラスク二枚と野菜と水」という簡素なものであった。
意外とお腹は空いていなかったので、これでも充分なのである。
これ以外にも他のツアーの人たちから、お菓子などが配られたので、丁度いい位である。
午後に入り、馬との信頼関係が徐々に築かれつつあった。
馬さばきも上達しつつあった。
毎度毎度、「馬」と呼ぶのも何なので、名前を付ける事にした。
最初は「ジョン」にしたが気に入らなく暴れた。次に「ジャク」にしたがやはり暴れた。
とにかく米風な名前は嫌がったのである。
そこで足が短いし農耕馬ぽいので、東北風な「田吾作」にしたのである。
この名前では暴れず、逆に機嫌が良くなった。
とのことで名前は「田吾作」となった。
北面に丘がある場所に到着し、その場所でキャンプをすることになった。
普通ならばゲルを立ててキャンプをするのだが、
山用テントを張り、キャンプすることになった。
そのテントも何故かTHE NORTH FACEの黄色のテントである。
(なんでモンゴルに大量で入手できたのか?)
夕食といっても本当に夕暮れになってしまうと、
何も支度ができなくなってしまうので、陽が高いうちから準備をし始めたのである。
夕食は肉は付いたのだが、やはり昼食と同じ位の量である。
またビールは別料金で付いた。(確か2USドル) それも中国製のAsahiスーパードライである。
モンゴルっぽい料理は一切期待できないものであった。
緯度も高く、さらにサマータイム実施中であったので、
陽が落ちたのは20:00を過ぎていた。本当に真っ暗になった時には21:00を過ぎていた。
夜になると、明かりは自分達が放つ懐中電灯と、車道を時折走る車のライトだけである。
とにかく真っ暗である。
この日は薄雲が出ていたため、満天の星空とはいかなかった。
さらに陽が落ちると途端に寒くなった。 間違いなく10度は下回っていただろう。
-----
旅行記:1999/8/16
写真は8/16撮影分が少ないため、前後の日にちの物を使用しています。
: ツーリストキャンプのゲルの前に放し飼いにされていた馬
昼食時の準備風景
休憩中の馬(後ろの馬が田吾作)
…馬の頭と前足をしばっておくと、放し飼い状態にしてもさほど遠くまで歩かなくなります。
ログインしてコメントを確認・投稿する