これは、「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」のイスラエル人ジャーナリスト、ユヴァル・アブラハームとラヘル・ショールが3年に及ぶ取材結果をまとめた告発ドキュメンタリー。
2026年9月のヴェネチア国際映画祭で初上映後、日本でも10月より緊急公開となった。
2023年10月7日のハマスによる襲撃をきっかけに始まったイスラエルによるガザへの攻撃で、ガザでの犠牲者は7万3千人以上にのぼる。その大半は民間人だ。
“NAZA”とは、軍の作戦行動時の民間人の巻き添え被害者数(一般的には“コラテラル・ダメージ”)を示すイスラエル軍の略語で、ガザでのハマス構成員攻撃に当たっては、巻き添え被害を容認する命令が出されていた。更に、軍事作戦において将兵の心理的負担を減らす為、“人を殺す”事を自動化する<虐殺のシステム>が構築されていた……本作は、匿名で取材に応じたイスラエル軍の兵士や諜報員24名の声から、それを明らかにしていく。
本作は、極めて特異な“映画”だ――画面はビルの屋上から見たテルアビブの夜景が中心で、それを背景にシルエットとなった取材対象者と、取材記者とのやり取りがほとんど全てだ――「戦争と死を見世物にはしない」と言う考えから、軍の描写は空爆の様子が映されず、最後にガザ市街と市民の被害状況が僅かに映されるのみであり、画面はほとんど黒い闇に沈んでいる。
それでも、これは決して退屈な映画ではない……こんな展開ながら、劇場内の観客はみな息を詰めて内容に集中していたし、上映後は打ちのめされた感じで言葉もなかった。
本作が描き出すのは、合理的な“戦争”における人間性の喪失であり、それを組織として、国家が行っている事の恐ろしさだ。
2023年10月7日のハマスによる越境攻撃で、イスラエル国民は強い恐怖を感じ、それは裏返って強い報復感情となった……「ガザに無罪の人間はいない」と言う認識が共有され、それが「何をやってもいい」と判断に繋がる。恐ろしいのは、そんな中でも冷静な一部の人物が、将兵の心理負担を軽減するシステムを作り上げていたこと。
例えば「パパは何処?」と言うシステムはガザの携帯電話音声を盗聴するシステムだ。勿論、ハマス構成員は盗聴を恐れて携帯電話を使用しないが、家族は違う。だから、家族の電話を盗聴して目標を絞り込むと、通話していないスマートフォンのマイクだけをONにして周囲の音声を拾い、構成員の子供が「パパ、おかえりなさい」と言ったら攻撃して家族諸共皆殺しにする。そして、家族の被害は“NAZA”として容認される。2022年、当初「20」だった“NAZA”は、許容上限が拡大され、最終的には、1人の構成員を殺害するのに「300」が認められた事もあった、と言う。
電話音声の盗聴と分析は、基本的にAIが行い、担当者のストレスを軽減する……そこで、構成員の家族は「人」ではなくなり“NAZA”が示す「数」になるのだ。
こうした自動化された遠隔攻撃により、将兵のストレスは軽減して行く……ゲーム感覚で遠隔操作で人を撃ち、3〜6歳の娘2人がいるハマス構成員の自宅を爆撃、戦火確認の為の電話盗聴で「助けて、娘が燃えている!」と言う母親の悲痛な叫びを耳にしても「ターゲットを仕損じた」としか思わないようになって行くのだ。
これには恐ろしい発言があり、戦争には付き物のPTSD、その対応の為に軍はカウンセラーを待機させていたが、殆ど必要はなかった、と言うのだ――戦争PTSDが生じない戦い……それは軍と政府にとって、喜ばしい事かもしれない。だが、それは、戦争へのハードルを引き下げる事になり兼ねないのだ。
恐らく、取材に応じた24名も同じような想いから発言したのではないだろうか……人を殺した痛みも、反省もない、だが、そこに感じる「人ではなくなる」感覚が、恐怖に繋がったのではないか?と思う。
これは、国家と戦争指導者に対する告発であり、ネタニヤフ首相は、ユヴァル・アブラハームとラヘル・ショールの2人を国家反逆の罪で国籍剥奪する、と発言し、取材に応じた24名の身元を明かすべく捜査を開始した、と言う……これは、それだけの“罪”とされる危険な内容なのだ。
だが、これは決してイスラエルだけの問題ではない。むしろ、これからの戦争とはこうしたものになる、と言う指針であり、だからこそ、人が人でなくなるような事を認めてはいけないのだ。
私たちが、ガザで瓦礫に埋まった市民と同じ目に遭わないようにするためにも……
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