『トロフィー』(日本)
視点を在日コリアン側に置いた日本映画。自分の義務教育時代には、チマチョゴリの制服を着て通学する同世代の姿をよく見かけていた。無関心を装いながらも、どこか奇異な目で見ていたというのが正直な記憶で、おそらく彼女たちがいじめや差別にさらされることも当時あったのだろう。
グローバル化が進んだ現代では、街中で異なる国籍やルーツを持つ若者たちが屈託なく交流する光景が珍しくない。しかしその一方で、一部の日本人による在日コリアンへのヘイトスピーチやヘイトクライムは未だに存在するのも事実。では、かつてチマチョゴリ姿で通学していた彼女たちと、その次の世代の生活はどう変わったのだろうか。
少なくともチマチョゴリ姿で通学する学生を見かけることはなくなり、在日コリアンを取り巻く環境も大きく変化した昨今。朝鮮籍の在留者も長期的視野では確実に減少。しかも近年は在日コリアン学生の約9割が日本の学校に通うとされ、朝鮮学校は生徒数の減少が著しく、国や自治体からの補助をめぐる問題も絡んで存続そのものが厳しい状況に置かれている。それでも、自らのルーツを次世代へ継承したいと考える家系は民族学校を選ぶ。
本作の主人公は在日4世の14歳ソヒ(恒那)。3世の両親ですら祖国で暮らした経験を持たない世代なのだから、望郷の念を求めること自体に無理がある。彼女たちが抱えているのは、昭和時代の在日世代とは明らかにベクトルの異なる葛藤だ。ニュースで北朝鮮によるミサイル発射が報じられると、生徒たちはヘイト被害を警戒して集団登校をする。踏切待ちでソヒが、バッグについているハングル文字の飾りをさりげなく隠すシーン。その一瞬の仕草だけで、自分のルーツに対する深層心理が、台詞以上に伝わってくる。
授業で教わるだけの祖国に愛国心を持てないソヒは「朝鮮人としての誇り」を強く持つ父親とぶつかり合う。父は朝鮮学校の校長を務め、財政的に追い詰められた学校を守ろうと必死に奔走している。しかしそれは14歳の娘の目には「お父さんは家族より学校が大事」と映る。祖国への思い入れなど持たず、むしろ時には疎ましさすら感じるソヒだが、学校生活でひたむきに打ち込んでいるのは「朝鮮舞踊」だというのが本作の肝だろう。
国家や政治への忠誠心とは無縁ながら、仲間たちと汗を流し、凛とした身のこなしで大会の晴れ舞台を目指す日々は、紛れもなく彼女の青春時代を形作っていく。国を愛しているから踊るのではなく、そこで生きている自身の誇りと、仲間との友情のためにソヒは踊る。その感情はおそらく本人にも説明しきれない矛盾があように見えるが、国家としての「祖国」に距離を感じながらも、文化として受け継いだものは確かに自分の身体にある。そのねじれこそが在日4世の迷いで、等身大のアイデンティティなのだろう。
K-POP好きという共通点から日本人同世代の友達ができたソヒは、一緒に行こうと約束したライブチケット代を工面するため、父が祖国から授与された勲章を勝手にフリマアプリへ出品して売ってしまう。売却後にそれが父にとってどれほど重い意味を持つものだったのかを知ったソヒは、慌てて日本人の友人とともに、買い手の居場所となる新宿歌舞伎町界隈の怪しげな雑居ビルへ足を踏み入れる。
北朝鮮という存在を、外部からエンターテインメントや記号として消費する怪しげな熱狂マニアたちのサークルに、少女ふたりで潜入していく展開は、それまでの家族&青春物語の語りに異物が混入したかの如く、独特の緊張感を醸しだす。ソヒは自分の家族の歴史や父親の人生と結びついた切実な「祖国」が、そこでは珍奇なグッズやサブカルチャーとして、面白半分に消費されていることに怒りを感じた。他者にとっての切実な歴史を、自分とは無関係な安全な場所から記号として享受する連中のいびつさ。これを作品では皮肉とユーモアを交えながらあぶり出す。
友情の獲得と父への反発から始まったソヒの小さな事件は、やがて彼女が社会に潜む違和感を否応なく目撃していく道程へと変化し、最後には「在日」というルーツを背負うとはどういうことなのかを問い始める。しかしそれは「祖国を愛するか、日本社会に同化するか」という二者択一の答えを選ぶのではまったくない。
ところで、演者自身には何の不満もないことを前置きしたうえで言えば、井浦新、市川実和子、山中崇といった知名度の高い俳優を在日コリアン役に配したことが、かえって物語への没入を妨げたように感じたのは正直なところ。主人公ソヒに新人の恒那を抜擢し、その存在感が素晴らしかっただけに、家族や周囲の人物にもより当事者性を感じさせるキャスティングを期待してしまった。もちろん俳優の出自と役柄を安易に一致させるべきではないが、本作が当事者性をこれほどまでに繊細に描いているからこそ、観る側もキャスティングのリアリティには敏感になってしまった。
だがそんな違和感を軽く超越するほど、本作が最後にたどり着く結末は清々しい。父親との確執はソヒが「祖国を愛する」ことで解消されるわけでもなく、最後まで父と同じ意味の朝鮮人としての誇りを持つこともない。むしろ、自分には自分なりのルーツと向かい合うステージがあることを、彼女自身が見いだしていくのが素晴らしいのだ。父にとって特別な意味を持つ勲章があるように、ソヒにもまた、自ら選び掴み取る価値観がある。その二つが重なった時にこそ、作品タイトル『トロフィー』の意味が浮かび上がる。
国家、民族、文化、家族、それらと自身が一致しない在日4世の多感な思春期に「あなたは何人なのか」を問うのではなく「あなたが誇りに思えるものは何なのか」と問いかける。受け継いだものと、自ら得たものの共存。そのことを確信させる本作の幕引きは瑞々しく清々しい。
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