『ひつじ探偵団』(アメリカ・イギリス)
ひつじが言葉を話す映画だと聞き、シュールに楽しめる及第点の娯楽作程度を期待していた。本編開始前にMGMライオンが「メェ〜」と鳴いた瞬間には嫌な予感しかしなかったが、それを見事に裏切るまさかの感動。ラストシーンで空に浮かぶ雲がひつじに見えたとき、感極まって涙を流すことになるとは思いもよらず。完成度を支える最大要因は、ひつじが殺人事件を推理するという荒唐無稽な設定を、最後まで違和感なく成立させている原作か脚本の巧みさにある。動物映画というジャンルの安易な可愛らしさに頼らずに、本格ミステリーとして十二分に堪能できる仕掛け。ひつじたちが本当に事件を解き明かしていく(ただし人間とひつじは会話できない)展開には脱帽。

ひつじ飼いのジョージ(ヒュー・ジャックマン)は、イギリスの田舎町にある牧場で、ひつじたちに囲まれて暮らしている。1頭1頭に名前を付け、それぞれの個性を尊重し、毎晩ひつじを集めて推理小説を読み聞かせるのが彼の日課。もちろんジョージ自身は、彼らが物語を理解しているとは夢にも思っていない。ところが、ひつじたちはその小説を理解しており、実は毎日のように真犯人が誰なのかを論じ合っていた。いつも犯人を言い当てるのは賢いリリー(声:ジュリア・ルイス=ドレイファス)で、仲間たちからは「世界で一番頭のよいひつじ」と称賛されている。

そんなある朝、ジョージが住居用トレーラーの前で死体で見つかった。事なかれ主義のひつじたちは「死」の概念を持たず、ひつじは生涯を終えると雲になるのに、人間は雲にならないのかと混乱する。リリーは調査を始め、いくつかの物的証拠から、これは推理小説さながらの殺人事件なのだと気付いた。人間たちが病死として処理しようとするなか、リリーは町で唯一の警察官デリー巡査(ニコラス・ブラウン)に推理小説本を届け、事件として捜査するよう導こうとする。やがてジョージには、ひつじの病気に効く特効薬で築いた巨額の財産があることも判明。町の誰かがジョージを殺したのか、それとも外から来た流れ者の仕業なのか。複数の人間が容疑者として浮上するなか、ひつじたちは真犯人を見つけ出し、事件の真相にたどり着くことができるのか。

殺人事件を扱いながらも物語は基本牧歌的で、コメディタッチの穏やかなテンポで進む。その随所にさまざまな“ひつじルール”が散りばめられ、それがやがて本筋のミステリーへと結び付いていく構成。臆病で保守的なひつじたちは、生き物にとって最大の恐怖である「死」を受け入れず、悲しみを忘れることで平穏を保つ「忘却術」を身に付けていた。「悲しいことはワン、ツー、スリーで忘れよう」。それは単なるギャグではなく、苦しみを忘却によって乗り越えようとする、彼らなりの生存戦略なのだ。

そのため、あれほど大好きだったジョージのことすら忘れようとする。だが、そこへ普段は群れから離れているセバスチャン(声:ブライアン・クランストン)が現れ「ジョージのことを忘れてはならない」と訴える。このあたりから単なる「ひつじが可愛い映画」という第一印象を作品は裏切り始める。群れの中で唯一、過去の記憶を保持できるモップル(声:クリス・オダウド)が「僕は悲しいことを覚えているけど、楽しいことも覚えている。お母さんのことも覚えている」と語る場面には胸を打たれる。作品は単なる“犯人探し”から“喪失をどう受け止めるか”を問う物語へと姿を変えていく。

ジョージの遺言で遺産の受取人に指定されていたのは、養子に出されていた実の娘レベッカ(モリー・ゴードン)。だが彼女は事件当日にジョージと会っていたことを隠しており、さらに疑わしい証拠が次々と見つかっていく。リリーは持ち前の推理力でレベッカが犯人だと断定するが、セバスチャンは「お前たちは目を見れば嘘を見抜けるのに、見ようとしない」と、その推理を否定した。リリーはやがて、小説の中の「死」は物語だが、ジョージの死は覆すことのできない現実なのだと悟る。臆病なひつじたちは少しだけ勇気を振り絞り、ジョージのために、そして最終的には自分たちの牧場を守るために、事件の謎解きへと踏み出していく。

単なる動物コメディと侮って鑑賞するほどに、予想を覆されたあとの満足感は大きくなる。ミステリーとしての構成も丁寧で、随所に張られた伏線が終盤に向けて鮮やかに回収される。唯一難点に感じたのは、田舎町の頼りない警官として描かれてきたデリー巡査が、真犯人を言い当てるクライマックスに限って優秀な捜査官へと変貌する点。特に髪の毛を採取するくだりは、唐突に格好良くなり過ぎで、いささかご都合主義にも映る。事件の解決がひつじたちの助力あってこそなのを、彼が町の人々に公言してもよかったのではないか。

しかし、そんな違和感をすぐに吹き飛ばす直後の展開は実に痛快。乱暴でけんかっ早いため体当たりを禁じられていたロニーとレジーの兄弟が「俺たちが正義だ!」という名台詞とともに突進する場面は十分なカタルシスがある。問題児として抑え込まれてきた彼らの性質が、ここぞという場面で大活躍に反転するのが爽快だ。

そして胸を打つのが「冬生まれのひつじは不吉」という、言われのない理由だけで仲間外れにされている仔ひつじの存在。根拠のない迷信が共同体の秩序として受け継がれ、差別が正当化されている構図は、人間社会のメタファーとも重なっている。本作はこの仔ひつじを通じて、古い価値観を更新することの難しさと大切さを、寓話のように描いている。
「覚えているのはつらい」と、記憶することの重さに迷うリリーの前に、ジョージの幻影が現れる場面も忘れ難い。ジョージは真犯人へたどり着くためのヒントを与え、リリーの鼻を優しく撫でようと手を伸ばす。しかし、その手が触れる直前に幻影は消えてしまう⋯切ない場面だが、ここでリリーは、忘れないことこそが、ジョージとの絆を失わない唯一の方法なのだと気付く。ここではリリーという名前の由来もさりげなく明かされる場面があり、ジョージが彼女に注いでいた愛情の深さが伝わってくる。名前を付けることは、その存在をかけがえのない相手として認めること。1頭1頭の個性を尊重していたジョージの姿勢が、ここで改めて作品の主題と結び付いていく。

本作は「忘れれば楽になる」という誘惑を単純に否定はしてはいない。忘却はときに生き続けるために必要な知恵でもあるのだから。それでもなお、大切な誰かを忘れまいとする気持ちが生きる者を成長させる。愛する者を失った痛みまでをも含めて抱えて生きること。その成熟の過程をユーモアとミステリーに包み込んで描いたところにこの作品の豊かな余韻を感じる。清々しく映画館を出ていくのが心地よい。
<映画レビューを切通理作さんのメルマガ内にて連載しています>
月2回配信、購読開始から1ヶ月無料
http://yakan-hiko.com/risaku.html
切通理作編集メールマガジン『映画の友よ』
【 料金(税込) 】 660円 / 月
【 発行周期 】 月2回配信
【 最新発行日 】2026年7月31日
映画の友よ Vol.298
<『大統領のケーキ』『怪奇タクシー 布告を知らぬ者達に』>
映画の友よ Vol.299
<『ひつじ探偵団』『超宇宙刑事ギャバンインフィニティ太陽が泣いた日』『仮面ライダーゼッツ さよならのミッション』>
ログインしてコメントを確認・投稿する