仏教の根本分裂である上座部派からさらに分裂する
部派仏教時代の説一切有部は
無為(不変 Nirvana)だけではなく、
有為法もまた常在の実体であると説く。
おそらく
無為だけが実在なら
変化はどこからやってくるのか?
という疑問を解決するためでもあったろう
その疑問を解決するために
アビダルマの五位75法という形而上学体系を活用したのである
その体系における有為法
については日本の学者のたとえによればフィルムのようなものであり
それが投影されるときを現在、
投影される前や後のフィルムのことを、過去、未來とよび
フィルムは過去、現在、未來の基盤であり常に実在であるというような解釈である
説一切有部では無常(刹那滅)とは、
投影されている現在だけについての話になる。
奇跡講座ACIMと比較してみると
奇跡講座では
実相(のキリスト)による、無邪気な小さな狂気の考え
というのが
在るから空想の変化がはじまる
原因とされている
そして、ゲイリーレナードさんの本では
シナリオ(説一切有部での有為法というフィルム)
から
投影(宇宙現象)がおきるとされている
つまり奇跡講座では
小さな狂気の考え
も
シナリオ(もう一度、赦しの旅するための改訂版)
も
投影(宇宙現象)
も
すべて無常であり空想にすぎない
ということなので、ACIMは
説一切有部の教えよりも、
ノンデュアリティの純粋性として説明が正確であるといえるのである。
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