本日のノンデュアリティのことばノンデュアリティとは立ち位置がないということである無条件であり常にある自然ということである立ち位置がないので目標、目的がないそして道、手段、方法、努力、選択がない立ち位置がないので外側も外側にとっての内側もそし
シャンカラによると、束縛とは統覚機能という錯乱であり解脱とはその錯乱の消滅であるでは、その錯乱とはなにか純粋知であるアートマン(トゥーリヤ、ブラフマン)の光明によって照らされる統覚機能は、自分に純粋知があるのであり、他の認識存在はいないと勘
シャンカラのややこしい説明から仮説してみるならば偽の光(偽の光明)である統覚機能が縄を蛇とするような幻想世界をつくりだすとしています統覚機能(マハットまたはブッディとよぶ)というのはサーンキア哲学においても使われている言葉でして、サーンキア
アドヴァイタ(不二一元)のシャンカラ説についてよせあつめのインド古代のヴェーダの聖典のうちさいごにつくられたウパニシャッド(ヴェーダのおわりの意味のヴェーダーンタ)の教えに関して紀元後に編纂された、よせあつめのブラフマスートラを注釈した有名
本日のノンデュアリティの言葉知覚は固定観念(主体化催眠、マインド)の反射反応(投影と状況判断)にすぎない今自分はどうしたいのか?は幻想であるすでに今が実在なのだから世界の真の情報(智)はひとつであるただ在る
真実はただ在るそれは幸福、不幸ではない幸福、不幸は幻想であるそれゆえ絶対的幸福や至福も実在していないまた、苦楽中道という幻想と幻想のあいだへの道もなくいかなる目的もなく修行などいらない正しさ(正しい道)も間違い(間違った道)も実在していない
世界は永遠の今以外の何ものでもなく、ただ永遠の今が実在しているこのためいつもそうであることに到達することはできない旅は無意味である
本日のノンデュアリティの言葉信念(ネガティブ、ポジティブ)を変えるのではなく信念はイラナイのです成るための信じる努力はイラナイのですイイ人間ワルイ人間興味ありません叶(かな)える努力がイラナイのです幻想の偽りの常識には興味ありません
いつもある精神統一おきてることしかない というかんたん説明について。いつもある精神統一とはいつもあるという意味ですので実在のことであり、したがって、精神のほんらいの意味でのスピリット(ナチュラルスピリット)ということですそれはいつもあり、誰