付記 プンジャジ(動画)の解説これ(客体)ではなく私をしりたいということでありでは私(主体)はどこにあるというのか?とプンジャジはいいますまだここです というオチは意識は分割できない(境界がない、どこかからどこかへイクことはできない)という
偽スピリチュアルの終焉正気でない世界にいるとき正気でないことには気づきにくいなぜなら不自然なことに慣れてしまっているからである麻痺してしまっているといってよい家庭においても学校においても仕事場においても人間をふくめてすべてがおかしな状態だか
世間でいう整理整頓も内側を整えることも幻想物理的自然や街や部屋を整えることはじつは何の意味もない実在しないからだそもそも整える内側(私)も実在しない実在とは在るがままであり内側というスポットや内側(主体)が作り出している外界も実在しない在る
https://stand.fm/episodes/6a92070c4125ba7af33043c3
スピリチュアルにおいて瞬間(一瞥)において永遠となるということばは誤解を生みやすい瞬間は実在しない瞬間とは、時間(内的時間、外的時間)を意味するしかし実在は、それらではないただし実在のなかに瞬間という空想はおこりうる全体ではない一部という発
ラディカルノンデュアリティ説(最近流行の、過激なノンデュアリティ説)の崩壊についてラディカルノンデュアリティの説明においては次のように説明されます。私なしに、何かが起きています。ひとつの実在から、何かが湧いて起きているのです湧いている何かの
仕事前に参拝いたしました。大阪府堺市南区の宮山台の多治速比売神社です^_^https://youtube.com/shorts/ecfY7qAQfY0?feature=shared
心の傷という話をよく聞きますが傷つくような心はそもそも永遠不壊の存在ではありえないので傷があろうがなかろうがもともと心自体が空想なのであって実在にしてみればその空想の心自体が イコール空想という不完全(傷のようなもの)であるといえますしたが
何かを失くしたとき穴埋めしなくてはならないというのはそれは愚かなことである穴埋めが必要な存在そのおかしな夢みる者は永遠不壊の実在の存在ではない夢みる者は偽の主体であるから彼はみずからの足りなさを投影し、無常の世界をいきていくみずからこそ無常
先日はちはや(千早)本道での撮影でした今日は大阪港(難波津の港)にて撮影いたしました。仕事がおわったあとの18時ごろ^_^です天保山ハーバービレッジにてhttps://youtube.com/shorts/LvHckr9wIl8?si=ZLztc15047n8DSsJhttps://youtube.com/shorts/JJm81MeG
いつもすでに在る平和が実在です努力(空想)そして我という催眠は対象をつくりだす努力がなければ空想である主体も客体もなく 一なる在るがままである我というニセの真実が作ったこの世界はゲームのようなものにすぎず、何の実在的な意味はありません意味の
夢の中のストーリー最近の図書館の読書について。最近は仏教の、唯識関係の解説書やそれ関係の大乗経典を流し読みで軽く読んでいました。そのあと大乗仏教の如来蔵関係の本も一部流し読みしたりしました。そして今日は、神智学関係の「秘教から科学へ」神尾学
仕事前に撮影いたしました。^_^https://youtu.be/T-SXpzPZaZ4?feature=shared
白い塔がみれるライブカメラ(大阪の村である、ちはや(千早)から千早本道の登山で金剛山の山頂のライブカメラから)時計の左に白い塔がみえます(富田林市内)。わたくしはそのあたりに住んでいます^_^https://www.youtube.com/live/hs80tlGTZJo?si=ax1X4vy
真実ありのままは過去の極限(端)においてはじめてあって生じたのではなく未来の極限(端)にいたって死滅するのでもなく現在の時点で出現する(させる)のでもなく不生、不死、不現である
肉体を私だと信じてるとき好き嫌いがある魂 そして 共通の私たちである大いなる私を信じてるとき愛そして苦しみがある大いなる私が 世界や身体や魂を作ったそれらは大いなる私 I A Mの矛盾(愛そして苦しみ)を描写しているのだ大いなる私という架空の存
ノンデュアリティかんたん仮説空想された個は実在における存在意識のサブ性質であるワクワクからうまれた想像である自意識は、存在意識によって空想された個を催眠化させた主体という信念エネルギーである空想活動はオートマチックであり、癒し(エネルギーが