疑惑というのは在るがままへの無知なのかもしれません私は努力をする私は自分を疑うどれも努力かもしれません努力が私の正体かもしれませんまず空想努力があり「私」という信念に成りますつまり私より以前に空想エネルギーつまり努力があるのかもしれないです
そもそも仏教自体もあまり興味がなくて一応よんでるだけなんですこの宇宙は努力によって投影されてる世界で無常ですなのに仏教はこの世界は無常である怠ることなく精進しなさいという仏教の創始者の遺言を守っていますわたくしには矛盾としかおもえませんね^_
スポットワークをしていて気づいたこと慣れていた今までの仕事(送迎の車の運転も含めて)とはべつに新しい仕事をあちこちでしてサービスを受ける側とは反対の裏方の労働を提供する側の事態がより明らかになったそれはこの日常世界は無条件ではなくいわゆる昔
不眠のほんとうの原因不眠という自我病(自我の欲)について自我を強く信じており欲が強いのが不眠のほんとうの原因です人生の目的地が実在すると盲信しているので心(自我)が休まらないのです目的地とは世俗的な目的やスピリチュアルな目的を盲信しているこ
意識の反転とはナチュラルスピリット(ただ在る)のワクワクからの空想努力(個)の主体化催眠により神(仏)も対象としてあらわれる(想作)神(仏)への前進があるかのようにみえていたがナチュラルスピリットからの催眠解除(癒し)により意識が反転し対象
素人12因縁煩悩(ワクワク)の漏がつまり空想努力であり個であり主体化催眠(我)をもたらす^_^空想努力による個の催眠化(無明 我)は有ではなく無でもない空想(空性)でありすべての12因縁空想エネルギーは在るがまま(無条件 無努力)へと癒される
インドの本ではすでに存在しているならば、どうして新しく生じる必要があるのか。また、それが存在していないのならば、本性を獲得する基体が存在していないのであるから、どうしてそれが生じるのか。とかかれています本性の獲得ということを、存在論のレベル
最近見たスピリチュアル対談動画https://youtu.be/Os7ONbjntAs?si=tcaa9A5tNjGhVg7uこの対談動画にでてくる中毒者による暴走事故ニュースなどは2012年のアセンションやニューエイジムーブメントの時期に発生していたのです。そのような本や時代の影響の弊害に
昨日はメッセージが湧いたので直感のままにかきましたこれだけで十分だとおもいます^_^これを哲学的にかくとしたら以下のような話になります在るがまま(ほんとうの源)のなかのワクワクから幻の主体が作られて(自我の性質は、好奇であり苦しみです)幻の主
神への前進はありえないというのも神はすでに在り神に還る私たちは神により送りだされたからであるこれが前進だったのであり神への帰還とは後退(無努力)にほかならないそして私たちは無努力 無条件である神に帰還するのである実在は無条件 無努力であり癒
図書館の本をよんで湧いた感想人の行為を見て裁く(幻を実在とする)ためにはあなたもそこにいるだろう罪を見て裁かれた囚人を見張る看守のようにともにそこにいるだろう許さない者(幻を実在とする者)はともに二人とも牢獄にいる牢獄の柵の中と外になんのち
無努力という平和な世界最初の努力はただ在る実在のなかのサブ性質であるワクワクという実在から空想がおきましたそれは空想という区別の状態であり無限(実在)とは違う有限な実在ではない空想(個の状態)を作ったのですそういう空想の区別を実在と信じたと
映画レンタル旅のエピソードについて昨日、母が地上波の番組について教えてくれたのですが(ちなみに昨日は、地上波のぐるナイ、の、ごちになります!の番組がお休みでしたこのグルメ番組には映画ちはやふるの続編ドラマ版ちはやふる めぐりで、最終回に、ち
あるエッセイを読書していて浮かんだ言葉映画でもそうだがよくある悲劇のセリフとして大事な誰かをなくし心にあいた穴どうやって埋めればいいのかこれは冷静と情熱のあいだという愛(麒麟)のメッセージ映画でもラストにでてくるセリフだしかし真の麒麟(ナチ
先日、偶然に古本屋(BOOKOFFチェーン店)でスピ系の本をみつけて2人の霊能者さんの一方はマンガでもう一人の方はエッセイの本をかいました^_^マンガの本はよみおわりました。わたくしの住む大阪南部から近い和歌山県の高野山で、霊能が開花したという人でし
今を無視して何かを欲するということはべつの悟りを得たいという欲は欲でありすべての雑想念つまりこの世界を作りだしているのです世間的にもスピリチュアル的にも今を無視した別のなにかを観たいという欲は同じ欲なのですなんの違いもないのです今(永遠)を
夢は夢でしかない夢は実在しない夢がわからないのはそれがじつは全く実在しないからである一時的な夢を叶えよう、叶えた、とおもってもそれは永遠ではない過去に私はこんな最高記録を作りましたと、年寄りが語ってもそれは一時的な状態でしかなかったのてすそ
すでにただ在るが実在であるなら何も変わらないとは無活動だから だったのである無活動は穏やかさであってそのなかで好奇であり苦しみの空想活動がおきていたかのようだった穏やかに 成る ということはありえない穏やかさ(平安)はすでに在るのだから穏や
奇跡講座ACIMというシナリオ(最後のカリキュラム)を癒し終焉させるナチュラルノンデュアリティオートマチックのメッセージ奇跡講座の誤ったメッセージは以下のように癒されていきますナチュラルスピリット(ひとつの存在しかない父とキリストという二つはあ
主体化解離催眠の存在(アイアム)が設定するシナリオ(最後のカリキュラムという罠)について、ご説明いたします。まず奇跡講座について。主体化催眠と解離催眠はほんらいまったく分けることはできず(わけたとしても作り話です)つまり空想された個への主体
https://ameblo.jp/726548/entry-12956817108.html
ナチュラルスピリットによるオートマチックな癒しについて今を考えることはできません今のなかで考えることができただけですそして思考をやめることがおきるときそれはまだ涅槃ではありませんエネルギー活動つまり努力がおきなくなることが涅槃への癒しなので
涅槃(完全覚醒)とは私や宇宙が即時に消滅するなら完全死のことでありもしくは、そうでなければ完全なる死人 として最後ののこりの人生を生きることですこのすでにただ在るがままの覚醒はこれよりマイナスの状態はないため挫折経験や鬱経験などはまだ、中途
自在神によるフォーカスの特性について顕在意識はマインドのテリトリーにあるそれは多次元的なものであるそれに執着して、今ここ、とすることは無意味であるこの日常の顕在意識では五感や思考や感情を経験するそれだけでなく魂は多次元的な顕在意識(心身への