今、サッカーのワールドカップをやっているけれど、日本代表が勝った負けたで大騒ぎする様子を、私は少し醒めた目で見ている。
超一流の選手たちが、鍛え抜いた身体と判断力を使って見事なプレーを見せてくれる。それをそのまま鑑賞するだけでも、十分に面白いのではないかと思う。
なのに、どうしてそこにすぐ「日本が勝つか負けるか」という感情が入り込んでくるのだろう
そういえば、ずいぶん前の「ドーハの悲劇」のとき、私はちょうど修学旅行の付き添い中だった。
あの夜は、就寝時間もこの中継のためにかなり大目に見られていて、先生たちもほとんど本気で止める気はなかったように思う。
そのとき、サッカー部の顧問の先生が、敗戦を伝えるアナウンサーについて「あの人は笑って伝えていた」と憤っていたのを覚えている。
でも私は、そのときも少し不思議だった。
あれは単に職業的な表情だったのではないか。
そんなに、お通夜のような沈痛な顔で伝えなければならないものなのだろうか、と。
オリンピックでも、ラグビーでも、サッカーでも、観る側はどうしても「自分の国」を背負わせてしまう。
もちろん、そのほうが熱が入るのだろうし、応援する楽しさもあるのだと思う。
けれど、本来はもっと、競技そのものの面白さや、選手たちの技術や工夫を味わう見方があってもいいのではないかと思う。
甲子園の高校野球でも、地元びいきや「お国自慢」の気分で観る人は多い。
それも人情なのだろうけれど、少し偏ってはいないか、と感じることもある。
スポーツは、国や地域への帰属意識を強める装置としてだけでなく、もっと自由に楽しめるものでもあってほしい。
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