仏教では
五蘊
つまり
心やモノ
すなわち
色受想行識
に執着しないように
つまり
それを
渇愛、取
することをやめる
ことを
繰り返し、経典にでてきます
では
なにが
執着しないようにするのでしょうか?
五蘊は
心やモノですから
心が執着しないように
では
話のつじつまがあいません
なにが執着しないようにするのか
それは
ニルヴァーナが
だと
仮説します
では
ニルヴァーナと五蘊(心、モノ)
の関係とは?
五蘊はどこから現れたのか
無明から?
無明は?
漏から
そして
漏尽
という説明もあります
つまり
ニルヴァーナ(純粋一元)
が
漏
をやめ
無明がなくなり
五蘊もなくなる
と仮説できます
しかし
ここで疑問です
純粋一元のニルヴァーナから
いかにして
漏がおきるのか
とすれば
ニルヴァーナ(真の存在 いのち)には
ワクワクという無邪気さ
がふくまれていた
それを漏
させない
つまりは
空性的変化を生じさせない
漏尽
これが
ワクワクからの
空想、無明催眠の封印
だと仮説してみたかったのでした。
(これがスピリチュアル研究レポート2を
試論してみたかった理由なのでした。)
おもいだす
それは
オートマチック
つまり
実在から
ただおきるのです
それが
ナチュラルノンデュアリティオートマチック仮説
であり
自然のなかのオートマチックの終焉
という仮説なのです
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