『HELP 復讐島』(アメリカ)
ハッピーエンドがこれほどまでに腹立たしく感じられる映画も珍しい。同類の後味を感じるのはダン・ギルロイ監督『ナイトクローラー』(2015年)。成功の物語を倫理の崩壊として提示したように、本作もまた勝者の論理を笑顔で肯定する、台詞のないラストシークエンスは圧倒される。その無言の傲慢さこそが本作の核心なのだろう。
主人公リンダ(レイチェル・マクアダムス)に過度な感情移入を許さない仕掛けが冒頭から構築されており、自宅の部屋に並ぶ大量の自己啓発本は単なるキャラクター説明ではない。彼女の価値観が努力、効率、成果主義であることを示し、これが物語全体を貫く伏線になっている。もし現実の職場にリンダがいたら自分は距離を置くだろう。だがそれ以上に上司のブラッドリー(ディラン・オブライエン)が問答無用のクソ野郎なので、消去法的に視線がリンダ側へと押しやられる。この比較による同調の舞台設計はかなり意地悪だといえる。
主演のレイチェル・マクアダムスは『アバウト・タイム 愛おしい時間について』(2014年)の柔らかな存在感が記憶に強いだけに、今回のリンダで他者を支配し管理する快楽を滲ませる人物像が戸惑いを誘う。無人島という極限状況でリンダが全権を握る展開は、単なるサバイバル能力の高さだけがスキルではない。彼女は優秀なビジネスパーソンでもあり、後半に明らかになっていく数々の彼女の“仕込み”は環境適応ではなく環境支配である。ブラッドリーを“殺さずに生かす”という選択は、倫理ではなく効率の判断。いつでも殺せる状態で相手を温存する。そこには支配の持続可能性という思想が見えてくる。
ブラッドリーの敗因は、崖から落ちかけたリンダを思わず救ってしまったところ。あそこで貸しをつくるという作戦も含めて、何を仕掛けるにしても作戦の浅さが露呈する。ブラッドリーの婚約者 (エディル・イスマイル)が上陸してからの展開は、サバイバル劇から心理的優位の奪い合いへと変貌。支配の三角構造が可視化された瞬間にリンダの本性が露わになり、ここからがサム・ライミ監督の本領発揮という勢いを感じる。
飛行機事故での容赦ない描写や、派手に飛び散る血しぶき、イノシシとの激突、そして去勢シーン等は明らかにサム・ライミ監督の残酷なユーモアが炸裂している。近年のメジャーフランチャイズ作品(スパイダーマン、ドクター・ストレンジ)では抑制されていた“悪趣味な快楽”が久しぶりに躊躇なく解放されていて刺激的。血の表現は肉体的損壊を通して支配関係を視覚化する装置。去勢場面で恐怖を共有したのはその象徴性ゆえだろう。
残念だったのは前半段階でのX岩石の説明場面で、薄っすらながらオチが読めてしまうところ。無人島ジャンルとしては近作 『逆転のトライアングル』(2023年)を奇想させてしまう。説明を削ぎ落とせば、終盤の衝撃はさらに鋭利になったはずだと確信する。
本作が残す後味の悪い理由は“能力主義が倫理を凌駕する”からなのだろう。邦題にある復讐が主軸ではなく、努力して生き延びて状況を利用した者が報われるという結論に倫理の余白はない。感じる苛立ちは物語への拒絶ではなく、自分もまたその論理を理解してしまうことへの不快感なのではないか。いずれにしてもサム・ライミにはこうしたジャンル特化型の寓話をもっと撮ってほしい。血しぶきを見ながら「きたきたサム・ライミ節」と興奮すると同時にゾワっとする残酷さと快楽の同調が癖になる。ヒーロー映画ではなく、人間の欲望を笑いながら解体する映画がこの監督の真骨頂だと思う。
『顔を捨てた男』(アメリカ)
セバスチャン・スタンが特殊メイクで演じる、醜い容姿にコンプレックスを抱え孤独に生きてきた男エドワード。彼は「新しい顔」を求めて最先端の顔面移植手術を受け、社会的に再生されることを夢見る。その一方で、実際に神経線維腫症を抱えながらも、外見を「欠陥」とみなさず堂々と生きる男オズワルドを、アダム・ピアソンがノーメイクで演じている。この対照的なキャスティングは挑発的であると同時に鮮烈で、徹底した特殊メイクとノーメイクの並置は、単なる演出を超えて「外見とは個人のものなのか、それとも社会制度そのものなのか?」という挑発的な問いを観客に投げかける。
外見とは単なる個人の特徴ではなく、むしろ社会制度そのものではないかという問いは、戯画化や感動ポルノに堕することなく、笑うべきなのか引くべきなのかの境界線をブラックコメディの枠組みで外見至上主義と自己肯定の矛盾を抉り出す。その先には人間が自らのアイデンティティをどこまで肯定できるかを突きつけられる結末が待っていた。
主人公エドワード(セバスチャン・スタン)は最新の顔面移植手術を受け、かつての醜い容姿を捨て「理想の顔」を手に入れる。するとキャリアも恋愛も前向きに展開していくように見える。しかし「美しい顔」として扱われるほどに彼の独自性は失われ、自己受容の問題が逆に浮き彫りとなっていく。その前に現れる神経線維腫症を抱えながらも堂々と生きるオズワルド(アダム・ピアソン)は、エドワードにとって鏡像的な存在であり、同時に最も受け入れがたい現実。生きるために顔を変えた男と、顔を変えずに自らの生き様を貫く男。この二人の邂逅はやがて物語を現実離れした領域へと導き、寓話的な強度を増していく展開になっていく。
『サブスタンス』(2025年)の系譜に連ねて観ると、近年の欧米映画が身体と社会の関係性を単なる物語装置ではなく、社会批評の最前線に据えていることが鮮明になる。ラストシーンでエドワードが浮かべる「後悔を噛み殺す笑顔」は、希望や絶望を超えて、人間存在の矛盾そのものを凝縮した忘れがたい表情だった。その一瞬に映画が提示してきた問いの重さと不可逆性は、単なる希望や絶望ではなく人間存在の矛盾を凝縮して、忘れがたい深い刻印を心に残す。
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