mixiユーザー(id:68785028)

2026年02月24日06:52

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昨日のシン・エヴァンゲリオン劇場版、TV放映と知って思ったこと。

庵野秀明「新世紀エヴァンゲリオン」。さまざまに形を変えつつセルフ・リメイクを続けているが、そのSF的設定や神学的装飾は、本質的には“深い問い”を持ったものではない。
14歳の少年少女を世界を救うロールに当てはめて動かしたら「オモシロカロ」と言った発想だけで設計されたドラマ。後付けで、人類補完計画や父ゲンドウと息子シンジのエディプスコンプレックス的なモノをつけ加えたように見える。
だが、この構造は厨二病&セカイ系の典型的作品となって後の物語造形に強い影響を与えた事は事実。
ヒーロー・ヒロインに貼り付けたトラウマ・自己相克の構造が、ちょっとあざとすぎて大人は彼らをフォロー・救う気がない、超功利的な人物集団に見える(ネルフの大人全員が)。この大人の機能不全・超利己的動機が14才の少年少女を利用する構図は、見ていてつらくなるほど非倫理的に描かれている。

このエヴァンゲリオンの構造を1960年代に放映された「ウルトラマン」の物語に翻案すると、科特隊の少年隊員「星野少年」に地球の命運を預けるようなモノ。これを村松キャップやイデ隊員・アキコ隊員らが良しするか? よしんばある状況においてこの少年に作戦の成否が掛かっていると言うときでも、彼らならそれが成功しても、星野少年が天狗にならないよう、失敗しても自罰的にならないようにフォローする筈。これは円谷監督だけでなく、当時の脚本家なら必ずそう描くと思う。

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