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2026年02月23日07:07

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真の転法輪

昨日は

メッセージが湧いたので

直感のままにかきました

これだけで十分だとおもいます^_^

これを哲学的にかくとしたら

以下のような話になります


在るがまま(ほんとうの源)のなかのワクワク

から

幻の主体が作られて
(自我の性質は、好奇であり苦しみです)

幻の主体には、その中において
幻の客体が作られます

それを仮に
神について想定したものしたとき

神への前進は

その客体である神は、自我が作りだした妄想のため

客体としての神への前進は

好奇心であり不安(苦しみ)

ということになります

神を望みつつ嫌う

という前進になります

これは

生まれるものは滅びる

という

自我の運命を

否定した

自我が作った対象へのさらなる前進

といえます

これが

ニューエイジという運動の正体です

神へ前進することは光であるとしていますが
闇(苦しみ)を隠しています

これが文明の矛盾であり葛藤なのです

日常においての無常は
比喩でいえば
水平的な生まれ滅びるのくりかえしです
(シナリオレベルであろうと、投影レベルであろうと)

しかし

ほんとうの無常は

比喩でいえば垂直的なものです

ナチュラルスピリットである真の神(無条件、無努力)
から

私

が立ち上がり

シナリオ

が立ち上がり

投影が立ち上がります

シナリオ、投影のなかの生滅は袋小路です

癒しは

私がきえ

シナリオが消え

投影が消える

垂直的な

ほんらいの
生滅であり

在るがままに還れます

活動(努力)は幻であり

無活動が実在です

善活動はシナリオ(カルマ)のなかの
天界へ生まれるだけです
それは
活動から逃れることはできません

悪は地獄で、意味は同様です

戒律や瞑想は
部分的な活動の制限にすぎないため

完全無努力のナチュラルスピリット
には還れません
(シナリオからは脱することはできるかもしれませんが
努力する者である私の範疇の瞑想状態にとどまります)

ブッダも
イエスも

ダイレクトな

真の転法輪(ただ無努力こそ癒し)

を伝えられませんでした

しかし、もうそうではなく
そのような長い不幸な時代は終わったのです

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