実在は無条件、無努力である
無条件には
主体も客体もない
主体も手段も客体もない
原因も縁も結果もない
主体も手段も結果も
幻の努力という呼び方の
別称にすぎない
じつはそれらの性質は同じ努力という幻想なのである
実在のなかのサブ性質であるワクワク
から
努力(空想、空性)により
主体という幻想が作られて
主体、客体
または
主体、手段、客体という世界が作られる
これを
原因、縁、結果と呼ぶこともできる
これらは、別項目にみえるが
同じ正体である努力(空想活動)である
そして
実在
を
仮に
原因としたならば、
空想レベルは結果である
空想または催眠(空想されたものを主体化催眠)
は
原因によって生じます
(そして、それ以降の結果というものは必然的にすべて続いていきます)
このため
空想、催眠レベルを癒すのは
原因(はじまりとして作られていない常にあるもの)でしかありえません
途中の何かから解除できることはありえないのです
ですから全自動であり
癒しも全自動であり
途中の存在(はじまりのあるもの)からの
コントロールはありえないのです
もちろん
大自我という主体化催眠
とその後の宇宙の誤創造
というこれら空想も
実在のサブ性質であるワクワクからの全自動です
ただ、
実在のメインの性質である、ワクワクではない
ただ在る
から直接生み出されたものではない
のです
ですから
実在のメインの性質である、ただ在る
そして実在のサブ性質である、ワクワク
そして
ワクワクからの(のなかの全自動空想)
これが
全世界の説明なのです
そしてワクワクのなかの
全自動空想
その試みは
実在の存在量を増やすことはできず
努力という空想(空性)は不自然(好奇、苦しみ)であるため
無意味なので
空想のはじめから意味のなかったものとして
終焉するかもしれませんね
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