mixiユーザー(id:4380531)

2026年02月08日00:00

161 view

映画『ブルーボーイ事件』

『ブルーボーイ事件』(日本)
フォト
「ブルーボーイ」とは出生時に男性でありながら、女性化のための手術を受けた人々を指す1960年代の俗称であり、現在では差別用語に分類される。しかしこの映画が扱う裁判が実際に起きた1965年当時、同語は広く使われる隠語だった。当時の売春防止法は“男女間の性交”を前提としており、ブルーボーイによる売春は法的対象外。取り締まる警察には、彼女/彼らを逮捕できないジレンマがあった。
フォト
そこで警察本部は、性別適合手術そのものを「優生保護法違反」と解釈し、施術した医師を逮捕するという強硬手段にでる。不良子孫出生の防止を目的とした「優生保護法」は、障害のある人などへの強制不妊手術を可能にするという異常な法律。だが警察はそれを逆手にとり「優生目的ではないのに生殖を不能にする手術は違法」という理屈を押し通した。この裁判が「ブルーボーイ事件」であり、当事者が法廷に立ったことで、彼女/彼らのアイデンティティそのものが議論の俎上になる異例の裁判になったという。
フォト
LGBTQ+が「普通」とは認められず、それは「異常」なのか「病気」なのかあるいは「不幸」なのかが議論される裁判。この偏見は時代を経た現在でも根強く残り、むしろ近年は再び逆行しているとさえ思わせる社会通念が散見される。その振り返りとしてこの裁判の史実が、日本の性別適合手術の歩みを30年近く停滞させたという現実が重く突き刺さる。社会が多様性に追いつけなかった時代の、制度と個人の幸福追求が衝突した歴史的裁判を、単なる再現ドラマではなく法と医療と「普通」に向けられる暴力を問うフィクションとして成立させているのが本作。
フォト
オリンピック景気に沸く1965年の東京で、警察は歓楽街の浄化を掲げセックスワーカーの取り締まりを強化。だが戸籍上男性であるブルーボーイには売春防止法が適用できない。そこで根源となる性転換手術を根絶やしにする見せしめとして、手術を施していた医師の赤城(山中崇)が逮捕された。裁判で弁護を引き受けた狩野(錦戸亮)は、手術が“正当な治療”であることを証明するためブルーボーイたちを証言台に立たせた。
フォト
最初の証言者は売春業の元締めを務めるメイ(中村中)。しかしこの裁判を茶番だと突き放す彼女の発言は狩野の意図とはまったく噛み合わない。2人目の証言者は自分の店の開業を間近に控えたアー子(イズミ・セクシー)。狩野は彼女/彼を“性転換症という精神疾患”を抱えた病人だと位置付けた主張を行った。アー子はその誘導尋問に激昂し「アタイらは普通よ!普通に悩んで生きてんの。女として普通に生きたい。ただそれだけなのに!」と声を荒げた。
フォト
アー子の証言を傍聴席から不安げに見守っていたサチ(中川未悠)。彼女は喫茶店で働きながら普通の生活をしていて売春とは無関係。恋人の若村(前原滉)からプロポーズを受けて幸福の入口に立っていた。だが彼女には最後の性別適合手術(造膣手術)が残っており、オペをするはずだった赤城が逮捕されてしまったことで人生に揺らぎが起きていた。
フォト
新たな医師を探すうちにかつて働いていたゲイバーの同僚アー子と再会。そして狩野からも証言台に出廷することを求められていたのだが、今の平穏な生活を壊したくないサチは証言台を拒む。だが「なにも隠さずに素直に生きられたら素敵じゃない?」と言っていたはずのアー子の人生が破綻したことで彼女の心は動いた。やがて彼女たちを病気だと示していた狩野も、当事者の“普通の人生”について理解しようと努力を始める。そしてサチが証言台に立つ日がきた。
フォト
撮影は群馬県で行われており、昭和40年代特有の靄を含んだ街の空気が上手く再現されている。部屋のインテリアやブルーボーイ達の衣装、ちょっとした小道具でもノスタルジックな魅力に溢れている映像が楽しい。裁判所内のレイアウトは実際とは異なるのだろうが、証言台と傍聴席の関係性を正面から捉える演出が巧みで、視線の配置による権力構造の可視化が際立つ。
フォト
サチの1度目の証言では、狩野に促されて自分の過去を語ることになる。子供時代のいじめ、デザイナーへの夢と挫折、ゲイバー時代、そして若村との出会いとカミングアウト。これに対する検事の時田(安井順平)の尋問は屈辱的で耳を塞ぎたくなる辛辣で容赦のない言葉だった。
フォト
自分にもLGBTQ+の友人が何人かいるが、彼女達のマイノリティの核心部分は繊細かつ複雑で、当事者でない自分がそこに安易に触れるの暗黙のタブー。それをこの作品では裁判の証言台で問い詰めており長々と痛々しい描写が続く。その残酷な言葉の数々は、実際の裁判記録に基づいているというのも衝撃的だった。そこには現代のSNSで散見される言葉も多々含まれており、60年後の現在も偏見が続いていることを裏付ける。作品ではそれを正面から乗り越える段階を踏むことで、他者の感情が実感として見えてくるはずだと訴える。2回目の出廷でサチが静かに、強い眼差しで本心を語る場面は、まるでドキュメンタリーのような真実味と熱を帯びている。
フォト
本作は徹底して当事者キャスティングに拘っており、サチ役の中川未悠は演技経験ゼロながら、前半の思い悩み覚束ない気弱な様子から、証言シーンの圧倒的な説得力まで巧みな好演を見せる。毒気の固まりのようなメイを演じる中村中の一段突き抜けた迫力も流石。アー子役でドラァグクイーンのイズミ・セクシーも初演技とは思えぬ自然さで、登場する仲間たちもトランスジェンダー/ノンバイナリーの当事者でなので、これまで他作品で見てきた“演技としてのLGBTQ+描写”とは一線を画す空気を生む。
フォト
一方、錦戸亮が演じる狩野は前半で冷淡で感情移入し難い距離を見せつつ、その溜めがクライマックスの爆発に効果的に繋がる。観客に最も近いポジションにいるのは恐らく狩野であり、サチを証言台へ導いた張本人ながらも“病気だから治療は正当”という論理感を捨てて、憲法13条「幸福追求権」を提唱する場面は感動する。“国民は誰もが幸せを掴む権利を持っている”。彼の熱意が法廷の空気を変える場面は圧巻で、それに応じるように裁判官がサチに問う「あなたは今、幸せですか?」。サチの答えはここには記さないが、その言葉の重さには息が止まった。
フォト
全体を俯瞰して強いて言うなら、社会的使命感が前景化するあまり、ドラマ側と法廷の接続が不安定な印象もあった。その揺らぎ自体が作品の訴えを助長する手段のようにも思えるのは、あばたもえくぼな感想だろうか。韓国映画『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』で主人公フンスが母親から「ゲイは病気だ」と罵られる場面がある。母は国家や制度の代弁者ではなく“最大の愛を与える者”であるはずが、教育や宗教、社会通念の常識によって刷り込まれた価値観が、その愛情を越えて息子を哀れむのが印象的だった。幸福のかたちを誰が決めるのか、誰の幸福が認められるのか。『ブルーボーイ事件』の救いはラストシーンにある。裁判の決着後、狩野とサチは会っていないことが判りながら、お互いの存在を認め合うことが伝わる台詞のないラストカットは印象深い。
フォト
<映画レビューを切通理作さんのメルマガ内にて連載しています>
月2回配信、購読開始から1ヶ月無料
http://yakan-hiko.com/risaku.html
切通理作編集メールマガジン『映画の友よ』
【 料金(税込) 】 660円 / 月
【 発行周期 】 月2回配信
【 最新発行日 】2026年1月31日
映画の友よ Vol.286, 287
<『WEAPONS ウェポンズ』『怪獣天国』>
<『HELP/復讐島』『アグリーシスター 可愛いあの娘は醜いわたし』「勝手にアカデミー賞2025年」>
17 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年02月>
日 月 火 水 木 金 土
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728

最近の日記

もっと見る