昨日、「禅と仏教について」を日記に記したが、宗教一般については、私は「無神論の神」信者です。当然、仏教徒でもありません。
アインシュタインとボーアの量子力学初期の論争(相対論を使ったボーアの反論が見事)。 理科教員の資格を取るために化学・生物・地学の単位も必要→生物分野で「動物学」を選択、ドーキンスをここで知る。 SF関係の友人と、「文明の曙」というボードゲームを知る。モノシズム(一神教)カードの威力。 山本七平(イザヤ・ペンダサン)の「日本人とユダヤ人」、私は日本教徒?特定宗教にこだわらない事が息苦しくない。 インテリジェンス・デザイン(強い強い人間原理)のアンチ的存在「スパゲッティモンスター」・・・・
などなどの学習経験からの結論は、 たとえ超越的存在が居たとしても、私はそれは神として崇める事は無い。 私が信仰している「無神論の神」は、信じようとそれに唾を吐こうと「罰」も与えないし「恩寵」「御利益」も与えない。よって信仰するメリット・デメリットもない。このような定義を満足する存在が「無神論の神」であって、この定義に反して他の神を信じたからと「罰」を下す存在は、たとえ超越的存在だとしても、単なる超越的存在に過ぎない。
大乗仏教の阿弥陀如来や弥勒菩薩は、「救済」という抽象概念を具現化・擬人化したもので、仏教そのものは無神教であるとよく解説本に書いてありますが、「嘘(他者に信じ込ませたいナラティヴ)をいけしゃあしゃあと書くよな」と言うのが私の感想。これらの抽象概念は「神」そのものと何の違いがある? 無神論の神は「救済」という恩寵などもたらしてくれないよと。
「無神論の神」はアインシュタインの言葉:Der Alte würfelt nicht.の"Der Alte"(古き者)に近いですが、私の中ではサイコロ振りまくってます。
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