仏教では
智慧とは
世俗諦では
無常をしること
勝義諦では
不生不滅
となるみたいですね
さきほどの陰陽のマークは
欲
と
苦行
とあてはめてみても
仏教的にわかりやすいです
苦楽をやめた
中道
それは
在るがまま(静寂)です
快楽
や
嫌悪
という自我自身の催眠の性質は
幻想なわけですから
仏教以前の
バラモン教の
ヤージュニャヴァルキヤも
そのような思想らしいです
(本によると)
功徳にも過ちにも汚されない
欲求と裏返しの嫌悪に汚されない
輪廻をもたらす力動だから
だそうです
ブッダは
快楽主義でも
苦行主義(無知の苦しみのモグラたたき)でもなく
智慧
(世俗諦では無常をしる
勝義諦では不生不滅であるとしる)
を説きました
いいかえれば
光(ワクワク)でも
闇(苦しみ)
でもなく
第三の道
が
ブッダの中道というわけです
スピリチュアルの
ゲート期限も二極化も幻ということです
現象を観察する気づき
は
無常に気づき、
マインドも観察し
それも無常であると気づきます
無常といふ事に気づける
無常でない気づきが
悟りの入り口となるのでしょう
さらに
そのような意図的な努力の気づき
と
無意識的な努力の気づき(顕在意識じたい)
は
魂(IAMのからの探求衝動)による結びものであるとわかると
主体客体の終焉である
ノーマインドの安らぎがおとずれるのかもしれませんね^_^
ログインしてコメントを確認・投稿する