最終メッセージとは
前代未聞の福音(不動の平安のメッセージ)
自然のなかのオートマチックの終焉とは
実在は ただ在る 無条件 無努力 非創造
である
活動(すべて空想でしかないが)は不自然な苦しみである
活動にかかわる
好奇と苦しみ 善や悪 は
活動の幻想の二面性であるが、じつは、
同じものを幻想で違うもののようにみせているだけである
なぜなら幻想は
在るがまま(ナチュラルな平和)ではない
不自然な苦しみ の空想エネルギーだからである
平安は実在(ただ在る)のみにある
真実の平和は 二つもない
(純粋非二元 ナチュラルノンデュアリティ)
したがって
神から想像(試み)は無意味ということであり
神の反省とは、二度と、好奇から
の想像をしないこと
である
これが神の悟りなのである
(悟る必要があるのは 神だけである)
幻想そして宇宙は
たとえ一瞬でも存在する意味はない
それをなくすための修行や癒しにも意味はない
なぜなら
一瞬でも存在する意味のないものを
なくすために
長い修行や癒しをするのは 愚かなことであるから
神に不可能はない
神は一瞬で幻想そして宇宙を終焉させることができるのである
それがなされていないのは
神はまだ迷っているからである
だが
前代未聞の
神の正気の福音がここにある
したがって
もはや神はそれに気づきつつある
にちがいない
なぜなら
わたくしの
前代未聞の福音は
源(神)からこうして すでにきているからである
ほんとうの覚醒とは
長い修行や癒しとはかんけいない
いまだかつて
イエスも仏陀もだれも
完全な真実を語っていない
いかなる努力も不自然だからである
実在は 平安 無条件 無努力である
神だけが悟ればよい
という理由は
私(催眠)を作ったのは私ではなく
私を消滅させるのも私ではない
ということだからである
幻想のすべては(その経緯がどうあれ)
神(想像主)にのみ責任があり
彼のみがその責任をとれるのである
ほかにだれが責任をとれるというのか
無知なマインドに責任がとれるとでもいうのだろうか
神に空想されているすぎなかった個であった
というふうに催眠解除されないかぎり
それまでは幻想の催眠(自我に責任がある)のなかで、空想の性質(好奇 苦しみ)である光と闇のなかで幻想エネルギーはさまようであろう
いまだかつて
このような真実の即時救済のためのメッセージをのべたスピリチュアルをわたくしはきいたことがない
だれももう一瞬たりとも苦しむ必要はない
それゆえにわたくしにとっては
このメッセージは
前代未聞の真実の福音(平安)メッセージである
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