『関心領域』(アメリカ,イギリス,ポーランド)
メインフライヤーのインパクトが強烈で、芝生の絨毯が広がる箱庭に料理テーブルとビーチチェア。男女と子供が複数名いるがロングショットなので表情まではわからない。よく見るとその箱庭は有刺鉄線を張った壁で囲まれている。そしてこれらはフライヤーの下半分のみに描かれており、上半分は真っ黒にべた塗りされている。
『関心領域』=『The zone of interest』とは、ナチス親衛隊がアウシュビッツ収容所を取り囲む40平方領域の呼称に使っていた用語。ポーランド南部オシフィエンチム市アウシュビッツにあるビルケナウ強制収容所は、ナチス政権による人種差別政策の実行現場。太平洋戦争末期1945年当時、その収容所と壁1枚を隔てた屋敷で暮らしていた家族の日常。アウシュビッツ収容所は隔離された人里から遠い場所にあると勝手に漠然と思っていたのが、すぐ隣に民家があるという史実に驚かされる。その穏やかな生活の向こうで行われているユダヤ人大量虐殺。
この作品で描かれる収容所の気配は「音」だけ。鑑賞する我々は音から連想する壁の向こうの事態に戦慄しながら、この家族の揺るぎない幸福の様子を傍観することになる。105分間で精神を掻き乱されるか何も感じないか、感想が極端に分かれことが想定される作品は、観終えてすぐに誰かと答え合わせをしたい衝動に駆られた。
頭に入れておくべきは、第二次世界大戦において日本はドイツと同盟国であったという史実。世界では現在も戦争が起きていて、日本で暮らす我々にそれは関心領域の認識にあるのか。『オッペンハイマー』では被爆当事国の立場での鑑賞を余儀なくされたが、この作品も同じ目線で観ることが果たしてできるのだろうか。ジョナサン・グレイザー監督はアカデミー賞のスピーチで、ガザ侵攻による反イスラエル思考を示唆した。戦争が起きている世界を知りながら、このようなエンタメを楽しむ人類への皮肉が込められていた。
自然に囲まれた森林で川遊びをする子供達と見守る親。家主であるルドルフ・フェルナンデス・ヘス中佐(クリスティアン・フリーデル)は、アウシュビッツの所長を務めるエリート司令官。邸宅の庭では飼い犬が駆け回り、妻と子供が父親に誕生日のサプライズで3人乗りのカヌーをプレゼントしている。子供達は学校に向かい、父親は愛馬に乗って仕事場となる壁の向こうに出勤する。植栽した花壇が美しい庭園に聞こえてくるのは銃声と奇声と謎の異音。どうやら焼却炉のボイラー音らしいのだが、ヘス一家がこれらの音に反応することはない。銃声も悲鳴も間違いなく聞こえているはずだが具体的描写はない。
夫のルドルフは焼却炉の稼働率を上げる新設備導入に向けた企業プレゼンを聴講。ふたつの炉を持つ「リング式焼却炉」の稼働で大量の燃焼を短時間で処理するのが売りだとセールスマンが熱弁を振るうが、何を燃やすのかは直接的に語らることはない。誰のものかも判らない金歯で遊ぶ長男は、ナチス親衛隊への憧れを持って兵隊遊びに講じている。次男か三男の男児は日常的に聞こえてくる恫喝と悲鳴を聞いて「次はやるなよ」と呟く。未就学世代の女児だけは感受性が強いのか、壁の向こうで行われることに直感的に怯えを感じているようだ。そんな娘にルドルフが枕元で読み聞かせる「ヘンゼルとグレーテル」は、魔女をかまどで焼き殺す物語であることにこちらの背筋がざわつく。
“音”に聞き耳を立てながら自身の想像力しだいでは不快を誘う度合いが計られる。この異色の仕掛けが全編で続くので、最後まで集中するにはそれなりの覚悟が必要だろう。常に引きの固定カメラを複数台同時廻しで撮影して巧みにアングルを切換える。基本的に殆どがロングショットによるインスタレーション的な演出に徹しているため人物の表情は儘ならない。まるで隠し撮りのようで、賛否を問わず感情移入の余地を与えるつもりがない監督の意志が伝わってくる。
ルドルフの妻ヘートヴィヒ・ヘス(ザンドラ・ヒュラー)は、部屋に持ち込まれた大量の衣服を使用人たちに「好きなものを1着ずつ選んでよい」と談笑する。サイズが合わないとか、欲しかった服は隣人の誰々に取られたとお喋りする井戸端会議では、ユダヤ人は宝石を塩壺に隠す知能があるという会話も飛び交う。収容所に連行されたユダヤ人達から略取した衣類や宝石だという事実に対し咎める者はいない。壁の向こうを意識しない生活維持は、音や匂いなどのノイズを抑圧する術と精神力が必要と思っていたが、ヘートヴィヒからはその葛藤を感じることは微塵もない。
ヘートヴィヒは念願が叶った豊かな暮らしに実母を招待した。自らがデザインから関与した美しい庭園を案内し、優秀な夫と元気に育つ子供達との生活を満足そうに語る。穏やかに微笑みながらその話を聞いていた母だったが、その夜に置き手紙を残して何も言わずにこの家から去ってしまう。翌朝に手紙を読んだヘートヴィヒは、すぐにそれを暖炉で焼き捨て、使用人にヒステリックな怒りをぶちまける。母の手紙の内容は不明だが、娘の混濁した精神に絶望し良心の呵責に苛まれたのは明白。壁の向こうから聞こえる異音にも耐えられなかったのだろう。
収容所隣接の生活では不測の事態も起きる。息子達の川遊び中に上流から異物が流れてきたことに気付いたルドルフは、慌てて息子たちを帰宅させ浴槽で身体を洗った。おそらく異物は焼却炉から廃棄された遺灰だろう。花壇にも肥料代わりに灰らしきを撒いている描写があるので、愛でる花々の発育には使えても、息子の身体に付着すると過剰な嫌悪感を露わにする思考にも背筋が凍る。
深夜なのか夕暮れか、暗視カメラ映像で描かれる少女がリンゴを土に埋め歩く。何を意図しているのか鑑賞中には理解できないが、パンフレットの解説文から実話をヒントにした映像であることを知る。グライザー監督がポーランドで出会ったその女性は、12歳当時にレジスタンス活動で被収容者達にこっそり食事を与えていたという。監督はその少女を登場人物ではなく、神聖な儀式のエネルギーとして捉えた撮り方をしており、それがサーモグラフィ画面処理となっている背景だった。ユダヤ人の曲であろうピアノを弾く少女も、敢えて不可解な行動を演出し、ヘス一家の視点での異物感を煽る。しかし初見でこれを察知して脳内消化する観客は果たしているのだろうか。
ルドルフに転勤の辞令が出る。アウシュビッツからオラニエンブルクの収容所管理本部への栄転だが、それを聞いたヘートヴィヒは激高する「ここが私たちの家なのよ」憧れの楽園生活から離れたくないヘートヴィヒは、ルドルフに単身赴任を指南する。収容所内の殺戮行為を黙認するどころか間接的に加担もしていながら、そこに意識を向けない生き方を肯定する彼女の人間性に具合が悪くなる。しかもナチスではそれが常識だと言わんばかりに、ルドルフも妻に従って単身赴任を決意するのだ。ヘートヴィヒの愛する箱庭こそがナチスの縮図。彼女が怒りに任せて家から飛び出し歩く場面では、壁の向こうで行われる鬼畜行為はお構いなし。彼女の怒りは夫の転勤のことだけが関心領域だと強調される。
演じるのは東ドイツ出身のザンドラ・ヒュラー。既に名声を得ている役者がこの醜悪な役柄を引き受けたこと自体に絶賛したくなる。この監督は役者をきれいに見せる演出意志は微塵もないので、着飾って女王のように振る舞っていても映像的な美しさは皆無。それどころか笑い方や食べ方、歩き方などが下品で育ちのよさが感じられず、ヘートヴィヒという人物像の嫌悪感を助長する演技が印象的なのだ。しかもこの夫婦が既に面従腹背な関係であることをさりげなく察せられるような仕掛けもある。傍若無人なヘートヴィヒに対して面従腹背のごとく浮気をするルドルフの様子はひどく滑稽に見えた。
後半ではナチスドイツ本部内会議の様子や、ルドルフの健康診断が描写されるが、極めて整然とした本部の業務風景はエリート集団の権威が漂うのと同時に無機質。自分たちが人類で最も優秀な集団だという自負が、非人道的組織渦中にいる自覚がないということがよくわかる。これまで観てきたホロコースト映画は非道と哀愁、その中で犠牲になっていく絆や愛、悲劇を謳い上げるものが多いのだが、この映画は “人間は至極真っ当な精神でこういうことができる” というアプローチで異常な世界を淡々と見せ続ける。
場面は突然に未来のアウシュビッツ、つまり現代のビルケナウ記念博物館が映り、この物語が我々と地続きであることを訴える。会場で働く清掃員のガラス窓の向こうに、この博物館に訪れると必ず見学する山積みされた大量の靴の山が見える。だが清掃員は淡々と掃除を続け、その靴に目線を向けることはない。直後に再び場面は過去に戻り、階段下で嘔吐するルドルフを上段背後から引きで撮ったアングル。やがて嘔吐が収まると、これまでなかったカメラ目線と同時に階段を降りていくというクロージング。この意味をどう解釈するか? 自身がやがて弾劾される(史実では戦後ルドルフは処刑される)立場になることを察したのか、人間を殺めることへの精神的限界を暗示しているのか、当事者意識の有無が鑑賞側に問われた気がしてくる。
アウシュビッツ虐殺を忌まわしく戒めるべき人類の過去だと訳知り顔で論じながら、心の底で他国他人の出来事と思っている我々日本人に対し、シチュエーション劇だけでそれと語らずに知らしめる鋭い構成力は脅威と驚愕しかない。普通に家族を愛して生きるこの夫婦に、腹に封印した穢れの部分は自覚意識がないまま生き続けるのだろう。
この酷薄で冷酷無残な精神の根源を知ろうとする気持ちと、自分自身を責める心理状態が錯綜する。エンドロールのあまりにも辛辣な音楽の影響もあってか、劇場を出て歩き出したところでは吐き気を感じた。誤解を恐れず極端に突き詰めれば、家畜を食べている我々はその殺戮をしっかりと想像して、命を食べる感謝を常に持っているのかということに繋がる。身に覚えが無いとは言わせない我田引水な価値観こそが、関心領域そのものではあるまいか。
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