mixiユーザー(id:68021579)

2024年05月14日20:10

8 view

形而上学(存在の秘密)

無始のナチュラルスピリットがあり
つぎに
探求エネルギーがあり
つくりばなしの意識があらわれる
そこに
自律催眠がおき
自我があらわれる
その大自我(好奇心であり罪悪感)には
さらなる暗黒が対象としてあらわれる
それが
暗黒のスクリーンである
その暗黒のスクリーン(つまり無)

好奇心と罪悪感という自我の反映であり
神とよばれるている
あるいは偽りの真我とよばれたりもする
その神

大自我の性質と同様に対象でありながら自律心をもち
世界を誤創造するためにシナリオを作る
そして
その偽りの神から
魂たち(小さな自我)
があらわれ

シナリオの
投影とともに
経験するために
転生する

そこには
顕在意識といわれている投影(偽りのいまここ)との一体化
があり
それが五感といわれる
そして
小さな小さな私のストーリー解釈(思考)が
あらわれる
ときに
魂は
思考に疲れ
五感が悟りだと勘違いする
なぜなら
投影のなかの身体が自分だと
勘違いしているからである

あるいは
五感にも疲れ

意識が悟りだと勘違いする

しかしなんの意識なのか?
魂(自我)の意識はバラバラで共有されていない。しかもその意識というのは
(大自我の)
暗黒のスクリーン(神)の反映であるため
(つまり神の分裂した意識)
そこに昼間や夜の夢
が投影されていないときには
暗黒なのである
無知(魂)には 
暗黒だけがあるのである

それがかりそめの熟睡といわれる

しかし

真の永遠の休息(真のあるがまま)の足元にも
およんでいない








1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年05月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

最近の日記

もっと見る