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2024年05月14日06:49

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内観の必要はないという真実

図書館の本を返却し、
すこし以前に
本屋で買っておいた(本の帯についての文章についての感想をかきました)
ノンデュアリティの
悟リリさんの
在る視点(点は幻想)
という本
をよんでいます。

半分くらいまで読書はきましたが、
やはり異和感どおり
の内容でした
在るために何もする必要はないのに
在ろうとすることを説いています

そして
真実は自然であるのに
活動を暗示する愛による受容を奨励しています

活動は静寂ではなくマインドであるにもかかわらずです

しかもその証拠に
真のスピリチュアルもどきの
心理療法の内観をすすめています

これは堂々めぐりでキリがないマインドのやり方なのです(マインド療法)

なぜか

真実は
あるがままであり
内観は必要ありません

なぜなら

幻想という努力ははじめに

内側
としてあらわれ

その
内側が
 内側にとっての世間的な外側
について努力していきます
(もしくは、神や聖霊に向かいたい、進化したいと努力します)

これがトリックなんです

形而上
においても
内側
 のあと
 外側(2パターン つまり真理以外の欲望、真理への欲望)
があり
その反映が

上記になるわけです

そして
心理療法が堂々めぐりになるのは
努力、内観つまりは
内側(偽のハート 活動)
を現実している
ので
外側がリアルにあらわれつづけるのです

なぜなら
努力とは好奇であり、恐れでもあります
だから
外側の感情(恐れ)も現実化してから対処してしまいます
なぜなら偽のハート(努力を必要とする特別の愛)
をすでに現実にしようとしているので
同時にまた恐れも現実にまずみえるからです

あるがまま(無努力 
正確にはすでに在るからのいやし)

ではなく
内観(特別性)を現実にしてしまっています

これが

最後のトリックなのです

真実は
まだここにあり
すでにあり
それが自然さ
 なのです
(これがフラクタルによりすでにもたらされている
すでにある恩寵、平安、自由、覚醒です)

プンジャジが4分で目覚めという動画で
ほんとうに伝えたかったことです

 その恩寵(いやし)はシンプルです
 内観という複雑さ
 の正体は
 私というエネルギーです

 心で心を掃除することはできないのです


 それは努力(空想でしかないもの)をまだ現実だと信じているのです。

フラクタル(相似性)による
平安(恩寵)はすでにいつもあり

それを否定しているのが
わたしというエネルギーが
催眠により作りあげている
自我(特別の愛と憎悪)です
それが
内観(自我)というフラクタル(コントロール願望)です

ですが
それは幻想なのです


これが永遠平和のためのメッセージ(恩寵による福音)です







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