とある組織で、とある役職を頼まれた。
ボランティアでね。
さわりがあるといけないので、くわしいことはあえて書かない。
これまでの日記の流れから、察しがつくかたもいるかもしれませんが、そこはスルーしていただけると幸いです(笑)。
就任して早々、クレーム対応の案件を相談された。
話を聞くと、そちらのお客さんから、職員の言葉づかい、応対についてのクレームがあった。相手を威嚇しているのではないか?と。
まったく知らない組織、知らない人の話ではないので、正直、「あぁ」という感覚もあったんだけどね。
件の職員さんが、少し前にメンタルの不調をうったえて、休職し今は様子をみながら復職に入っていることも知ってはいた。
職員のコンディションを配慮しつつ、お客さんからのクレーム対応を考えなければならない。
どうしましょう、と他のスタッフさんと相談。
クレームがあったことを本人につたえ、質問や今後の改善に向けた行動を本人からレポートで出させたらどうかという話があった。
俺はそれについては反対した。
学生時代、心理学の授業で実験に協力したことがあった。
悲しいことを思い出しながら、それについて文章を書いてください、という課題を求められた。感情の変化をみる実験なので、書いてもらったこと自体を提出してもらうことはないです、みたいな注意をうけたうえでのことだったんじゃないかな。
どういう実験だったかまでは忘れたけれど、その課題に対して、素直な俺はかなりシビアな状況を思い浮かべながら書いていき、大学の教室で本当に涙ぐみそうになった。
このことで覚えていることは、ひとりで記憶に向かい、それを文章にしたりすることは、実際の感情をも大きく揺さぶるということだ。
その後、ずいぶんたって仕事についたあと、知っていた人が心中事件を起こしたという話を聞いたことがあった。
その事件の数日前、俺はその人に会ってあいさつくらいはしていたんだよね。
あいさつくらい、という関係といえば、それ以上のものではないが、ただそこまで思いつめているようには見えなかったと思う。
そのこと自体、そうとうにしんどい経験だったのだけど、あとから聞いたらその時の部屋のゴミ箱から、その人が当時のつらい状況について書き綴っている文章が出てきたという話を聞いたんだ。
そのあたりを自分の経験とあわせて考え、書くということは、想像以上に気持ちや行動を揺さぶる怖さがあると思った。
なので今回の案件でも、話だけして宿題を出して帰すというやり方には、怖さを感じた。
相手は、休職明けということもあるし。
クレームに対して、自分ひとりで対応を書かせるようなやり方は、けっこうしんどいものだから、そこは面談して私とか、役職に就いている人が話を聞いた方がいいですよ。
やんわりと、レポートを出させることには反対した。
とりまとめを行っている方から、ではその場で話すか、書いて出すかは本人に選択させたらどうでしょう。その方が、本人の負担が軽くなると思います、と返ってきた。
俺は負担を軽くするために、書かせるのはやめた方が、と言っていたんだけど・・・と考えて気がついた。
面談するという場合、担当者の中に当然、新規で役職についた俺が含まれる。
責任上は、上位者として。
面談でネックになるのは、俺なのだと気がついて苦笑した。
知らない人ではないとはいえ、こういう微妙な話に、役職つきましたから、と出てきた人間に安心して話ができるだろうか。
俺ががんばっても、せいぜいニュートラルか、現実的にはやっぱり相手を緊張させる、いうなればクレーム側の人間にみえるだろうな。
そこが懸念されているのだと思った。
自分ではニュートラルのつもりでも、自分の姿はみえないからね。
そこを考えた上でトーンダウンすることにして、懸念は伝えつつ、本人がそれを選ぶというなら、反対はしませんと答えた。
組織と言うのは人それぞれ、いろいろな思いをもって動いているし、それぞれみているものはちがう。
一番みえないのは、自分の姿なんだろうな。
今日の午後、話をしにいくことになる。
気をつけて、いこう。
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