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2024年05月10日00:07

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完全覚醒へ

グレッグ・グッド(の本、気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう? ナチュラルスピリット社)
 の二段階の一瞥体験(観照、純粋意識)。

 ちなみに、一度目は、
ニューヨークのグランドセントラル駅(自我の象徴)から北(純粋意識の象徴)行きの地下鉄(うち側の象徴)を待っていたときにおこりました。
171ページ。

 二度目は、気づきの「視点」がなくなる
場合の癒しです。


さて、ここで奇跡講座(ACIM)の参考書といわれている、ゲイリーレナードさんの、神の使者
の、存在の秘密の章の認識論も参考に
かいてみたいとおもいます。

まず、
ナチュラルスピリットとして純粋な気づきそのもの
があるとします
そこに、もし、わたし(空想上の分離)がいたらという空想が湧きます

次に、空想のわたしには、そのほかには
基盤の実在しかありませんが、

作り話として
わたしの対象があることにします
(奇跡講座の作り話である、意識的選択の
フィールドであり、べつの新しいシナリオをつくることを可能にするもの)

つまり
わたしの意識です。

その作り話のための意識というフィールドには
ふたつの作用がおこりえます

わたしという好奇心による
さらなる作用
つまり
客体でしかない意識を、主体として催眠化することです(すなわち、自我という自律化です)

もうひとつは、
わたしの、意識、は作り話なので
ほんとうのその気づきとは
わたし以前の
純粋意識(普遍、普通意識)
を示している(基盤である実在を示している)

という記憶です(これを聖霊といいます)


グレッググッドも本のラスト(187ページ)で似たことをかいているように、

意識という気づき(空想の産物)



気づきでないもの(自我化をふくむ幻想)

気づき(の代替としての意識、信念、概念をふくむ)

というふうに
真実への識別をするために存続しており

その必要がなくなると

意識という代替である気づきは

溶け去る

ことになります

神によって申し示されていたとおり
その役割はおわるのです

なぜなら
わたし、という視(空想の見)点(自我)
が癒され無効化されるからなのです。

そして、ナチュラルスピリット(普遍である、普通の気づき)がただ在るのです


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