今図書館の本でよんでるのは
気づきの視点に立ってみたら
どうなるんだろう?
(グレッグ・グッド著)
という題名の
ナチュラルスピリットさんの本です
またしても
視「点」
というナンセンスな言葉を題名に使ってるので
悟リリさんの「在る視点」
と同じく題名にツッコミそうになりますが
赦して^_^読ませていただいてます。
まだ途中ですが
けっこういいセンスの本でもあります
とはいえ
在ろうとしたり
気づこうとしたり
するのは
やっぱりナンセンスであり
あまり同意しきれる内容ではないですが
ところどころ
悟リリさんの本もそうですが
真実をそのままかいてくれているところもちゃんとあります。
在ろうとするのではなく、もうすでにただ在る
という真実をかいています(気づきについても)
しかし
彼らが
あまり
オートマチックについて書いていないのは
すでに在る
なら
オートマチックでもある
の
最初の一行に完全に癒し落ちていないからかもしれません
つまり
コントロール催眠(自我)がのこっていて
でも薄まっていますが、
のこっているので
オートマチックであることがあらわになっていないのかもしれません(はっきり書いていないのかもしれません)
すでに在る
というのは
普通の意識(自然意識、癒された意識のこと)が普遍意識でもある
という
汝それなり
という自然さのことであり
それは
いつもすでに在るため
オートマチックはそこからなので
途中からのコントロールが可能
(ただ静かにしていよう、とか)
という自我催眠世界(二元世界)
の夢から覚めて
非二元世界(オートマチック世界)
なのです。
しかしながら
自律催眠がまだあることにより
大自我
そして
分裂した魂(小自我)
が
身体を自分であるという勘違いがおきると
その次にさらにおきる(自律妄想)は
身体のなかにいるかのような、さらにさらに、
小小自我が
あらわれて、
その小さな小さな自分という観念が
こんどは身体(脳、心臓)をコントロールしてるのだと勘違いするのです
まるで雇われ社長(大自我)
の指示により設計された飛行機に乗る、ただの乗客が
飛行機を操縦してるかのごとくつもりになっている
とんでもない子供じみた妄想遊びをしている状態なのです
これが神からの分離がいきつくさきの、
小さな小さな私という幻想ストーリーです
それが自我のいきつくさきの楽しみ、苦しみというわけなのです。
白紙
に円をかき
さらに
そのなかに小さな円をかいていく
(じつは円ではなく小さな螺旋にフォーカスした波動世界にしているのかもしれませんが)
それのくりかえしにより
最終的に小さな小さな私のストーリーを生きています
しかし、
白紙に円をかいたとき
円のそとも、円も、円のうちがわ
も
同じ普通の意識でしかないと帰還のための恩寵(オートマチック)により気づいたとき
旅はおわるのでしょうね
普通の意識が普遍の意識であるからです
(汝それなり)
ログインしてコメントを確認・投稿する