mixiユーザー(id:68021579)

2024年05月06日22:22

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普通の意識が普遍の意識である

今図書館の本でよんでるのは

気づきの視点に立ってみたら
どうなるんだろう?
(グレッグ・グッド著)
という題名の
ナチュラルスピリットさんの本です

またしても

視「点」
というナンセンスな言葉を題名に使ってるので

悟リリさんの「在る視点」
と同じく題名にツッコミそうになりますが
赦して^_^読ませていただいてます。

まだ途中ですが
けっこういいセンスの本でもあります

とはいえ

在ろうとしたり

気づこうとしたり

するのは

やっぱりナンセンスであり

あまり同意しきれる内容ではないですが

ところどころ
悟リリさんの本もそうですが
真実をそのままかいてくれているところもちゃんとあります。
在ろうとするのではなく、もうすでにただ在る
という真実をかいています(気づきについても)

しかし
彼らが
あまり
オートマチックについて書いていないのは


すでに在る
なら
オートマチックでもある


最初の一行に完全に癒し落ちていないからかもしれません

つまり

コントロール催眠(自我)がのこっていて
でも薄まっていますが、
のこっているので
オートマチックであることがあらわになっていないのかもしれません(はっきり書いていないのかもしれません)

すでに在る
というのは

普通の意識(自然意識、癒された意識のこと)が普遍意識でもある
という

汝それなり

という自然さのことであり

それは
いつもすでに在るため
オートマチックはそこからなので
 途中からのコントロールが可能
(ただ静かにしていよう、とか)
という自我催眠世界(二元世界)
の夢から覚めて
非二元世界(オートマチック世界)
なのです。

しかしながら
自律催眠がまだあることにより
大自我
そして
分裂した魂(小自我)

身体を自分であるという勘違いがおきると

その次にさらにおきる(自律妄想)は
身体のなかにいるかのような、さらにさらに、
小小自我が
あらわれて、
その小さな小さな自分という観念が
こんどは身体(脳、心臓)をコントロールしてるのだと勘違いするのです

まるで雇われ社長(大自我)
の指示により設計された飛行機に乗る、ただの乗客が
飛行機を操縦してるかのごとくつもりになっている
とんでもない子供じみた妄想遊びをしている状態なのです

これが神からの分離がいきつくさきの、

小さな小さな私という幻想ストーリーです
それが自我のいきつくさきの楽しみ、苦しみというわけなのです。


白紙

に円をかき

さらに

そのなかに小さな円をかいていく
(じつは円ではなく小さな螺旋にフォーカスした波動世界にしているのかもしれませんが)

それのくりかえしにより

最終的に小さな小さな私のストーリーを生きています

しかし、

白紙に円をかいたとき

円のそとも、円も、円のうちがわ



同じ普通の意識でしかないと帰還のための恩寵(オートマチック)により気づいたとき

旅はおわるのでしょうね

普通の意識が普遍の意識であるからです
(汝それなり)














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