インド編 ノンデュアリティオートマチックの終焉
(読書感想 参照
ラマナマハルシとの対話 第3巻)
冒頭から25ページから94ページまで
の内容の
今朝の読書感想
(感想文 純粋存在について
わたくしの湧いた説明がほとんどですが)
要約
眠り(いわゆる熟睡の意味)の中では
私は私に気づいていなかった(ここでの私とは探求マインドのこと)
つねに存在するもの(純粋存在意識)
は
いまだ私という探求信念(種子 未顕現)をのこしている場合
その信念は休息状態にあるが(機能していないが)
機能しはじめると
純粋存在(純粋意識、プルシャ)は
わたし(繊細な探求衝動心、プラクリティ)の中で意識(マハット)として反映としてあらわれる
そのあと自我(アハンカーラ)があらわれ
身体(粗大な身体)に同一視するようになる。
純粋存在は
自我が身体と同一視して、
身体以外のものとの、交流や所有という
離れたものにたいする欲望をもたない
なぜなら
純粋存在はそのなかにあるほかのものを
みずからより離れた存在としては
みないからである
つまり統一しているから無欲である
禁欲とは、非暴力、サマーディとは
すでに在り、つねにある純粋存在であり
あらためて実現する何かということではありません
永遠なる功徳(よきこと)とは
ただ在ることです。
純粋存在が自然に不純を清めます
幻想への行き帰りはオートマチックだったのです
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