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2024年03月20日08:52

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LPレコードに刻まれていた「音」 

 今日はLPレコードの日ということです。1951年の今日、日本コロムビアからLPレコードが「長時間レコード」の名前で発売されたことに因みます。

 自分がLPレコードを一番聴いたのは、CDという音楽媒体が開発されて数年経った頃だったのではないかと思います。当時はまだクラシック関係のCDはそれほど充実していなかったし、第一、高価だったので、購入は断念し、代わりに、種類も豊富なLPレコードを図書館から借りまくっていたのです。
 図書館としては、文京区の図書館をよく利用しました。当時、文京区の図書館はLPレコード5セットの貸出を2週間認めてくれていたのです(ありきたりな定番ものだけでなく、結構マニアックなものもあり、なかなか充実してました)。そこで、今から思えば我ながらよく歩いたものだと思いますが、2週間に1度、目白台、水道端、小石川、真砂の各図書館を経めぐり歩いて各図書館からLPレコードを5セットずつ借り出しては返却するということを数年にわたり繰り返してました。
 当時の自分としては、まずLPレコードで聴いていいなと感じたものをCDで揃えていこうという心づもりでした。ノイズの入らないCDの方が音はいいし、聴きたい箇所を瞬時に出せる等のメリット?を本気で信じていたからです。
 でも、実際にそのようにしてみると、(演奏家にもよりますが)LPレコードで感じられたその演奏家の輝きが、音がいいはずのCDでは感じられないことがしばしばあることが分かってきました。その傾向はステレオ録音期の弦楽器奏者の演奏によくみられたのですが、就中、ジノ・フランチェスカッティというヴァイオリニストの演奏については顕著に感じられました。
 フランチェスカッティについては、音楽評論家の中野雄氏が次のようにその美音を激賞しています。
 「「美は人を沈黙させる」とは使い古された言葉であるが、文字とか言葉では絶対に表現できない世界の存在を思い知らされたのが1963年の夏。ところはスイスのルツェルンであった。(中略)フランチェスカッティ=カサドシュ(←音色が美しいことで当時有名だったフランス人ピアニスト)が奏でる美音の洪水に聴衆は圧倒され、ただ呆然として陶酔境をさ迷う面持ちであった。
(中略)
 フランチェスカッティの音は、ヴァイオリンが理想のソプラノを模した楽器であることを一聴理解させてくれる凄みを持つ。美には様々な相貌があるから、私は彼の音色を以て至高——ときめつけるつもりはないが、「燦然たる」とか「絢爛豪華な」とかいう形容詞に相応しいヴァイオリンの音色を求めるのであったら、まずこの人を以て第一人者とし、第二、第三が無くて——と称しても過言ではないと思う。彼の使っていた古今の銘器(「ハート」と名付けられた1927年製のストラディヴァリウス)は現在、後輩サルヴァドーレ・アッカルドの許にあるが、なにびともアッカルドの音からあのフランチェスカッティを想い出すことは不可能であろう(アッカルドの名誉のために一言。「彼は現在、ヴァイオリンという楽器を最も完璧に鳴らすことの出来る奏者である」と、我が国弦楽界有数の名工・故本間立夫氏は語っていた。「でも」と、私は言いたいのである)。」(『クラシックCDの名盤』(演奏家篇)宇野功芳・福島章恭・中野雄共著 文春新書 P272〜273より)。
 ここで述べられていることは私には過大評価とは思えません。
 私自身は、音の良し悪しに対するこだわりはそれほどなく、オーディオに関する知識にも疎い方だと思うのですが、そんな私にでも、LPレコードを通して聴くフランチェスカッティの演奏だけは、事前の説明なしでも、はっきりと「あ、フランチェスカッティの音だ!」とすぐ分かったものでした。しばしば「蠱惑的」といった言葉で表現されますが、たとえようもなくエレガントな音色のヴァイオリンを聴かせてくれたのがフランチェスカッティだったのです。
 なので、そのフランチェスカッティのCDを店頭で見かけた時には、無条件に飛びつきました。でも、例外なくがっかりしたものでした。確かにそこには多少美音のヴァイオリンの演奏が記録されてはいましたが、私がLPレコードで感じたフランチェスカッティはそこにはいなかったのです。
 それがCDというデジタル媒体自体の限界に由来するものなのか、人間の可聴域外の音がカットされていることによるものなのかは私には分かりません。
 ただ、人間は聴こえない音でも感じることはできます。これまでにも何回か日記、つぶやき等でコメントしてきたことですが、邦楽に使われる楽器の一つに能管という楽器があります。犬笛に似て可聴域の音は出ませんが、能管が鳴っていると不思議に人間はより強く静けさを感じると云います。実際、能管が奏でる音域の「音」は田舎、過疎地の夜には溢れているのに、都会の夜にはほとんどないといういささかショッキングなデータもあります。
 LPレコードには、ノイズ等の雑音が入る反面で、人間の耳に聴こえなくても人間が感じる「音」(CDが記録できなかった「音」)まで刻み込まれていたと言えると思います。
 
 最近では、LPレコードは見直され、むしろCDの方が隅に追いやられてます。皆さんの周りでも閉店したCDショップは幾らでもあることでしょう。CDショップが閉店していく背景には音楽が配信でより安く聴けるようになったという事情があるのでしょうが、LPレコードが見直されつつある背景には、そこに刻まれていたあの「音」を聴きたいと望む人々が私と同じような経験を通して増えているからではないか、そんな気がします。
 なお、上述のようなわけで、現時点では、フランチェスカッティの「音」にもっとも近い音を伝えてくれるのはLPレコードしかなく、その意味ではこの人こそ実演で接しておくべき演奏家だったと言えますが、惜しいことに、この人はついに一度も来日することがないまま1991年にその生涯を閉じています。
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