自然はいつもある
いつも自然だけが存在する
真我は対象ではないのだから
探求したいのはだれなのか?
それは偽者である
自然が存在する
内側というものは存在しない
内側はないので外側もない
自然だけである
自然(ナチュラルスピリット)のなかで
冒険やロマンスが演じられた
あたかもテレビのなかで喜怒哀楽が演じられたようなもの
番組がはじまる前
番組の最中
番組の後
何か変わったのだろうか
偽りの経験の記憶がふえただけであり
妄想にすぎない
スピリチュアルな番組
共鳴の番組
妄想にすぎない
妄想は妄想であるエネルギー代を要求するだけだ
だが自然は何も要求していない
自然に境界はない
「目」は自然を有限に感じさせる
偽者の目はそうさせる
探求者(不自然者)
はそうさせる
偽者の「目」による知覚が
偽者の「口」による虚言が
偽者の「脳」による思考が
平安を有限へとみせかけるのである
永遠を新たに目撃する者は
あらわれることはない
過去からの進化していく新時代というものもない
自然はある
明白な自然を否定する私は
真実のキリストにより笑われる空想なのである
ワクワク(枠)ウキウキ(浮気)と
その対象は
なんにも実在してはいない
「私たちは一体誰?」
探求分裂症である
「私は誰なのか?」というのは病気なのだ
自然はいつもある
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