●映画「燈火は消えず」鑑賞。主演はツイ・ハークやジャッキーの映画に出ていたシルビア・チャン。自分的にはチャンといえばマギー・チャンだが、シルビアは作品プロデュースをしたり監督をしたり、年を重ねて活躍の場を広げているようだ。今回の作品でも香港の市井のおばさん役を自然に演じていた。実年齢70歳に驚き。
●彼女の亡き夫役のサイモン・ヤムもイケおじで、若いころの延長のように仲睦まじいふたりの様子が回想シーンで繰り返される。それは決して噓ではないが、残された妻の頭の中で補正された記憶であることが次第に明らかになる。なぜなら彼女はSARSが香港で蔓延した2003年当時(映画の中では10年前)、ネオン職人だった夫に工房の継続を諦めさせ、タクシーの運転手になるよう促していたから・・・。
●中国返還以降に建築法が変わり、かつて香港の夜景を彩り、建物から競うように張りだしていたネオンサイン看板は、いまはほとんどなくなってしまったそうだ。ディスプレイの多くはLEDとなり、ガラスネオン管を使った電飾が過去の遺物となる中、その燈火を残すために奔走するヒロインと亡き夫の遺志を継ぐ青年、そして結婚とオーストラリア移住に揺れる一人娘・・・と、ストーリーはありきたり。それでもエンディングクレジットで、香港を代表する実在のネオン職人の作品や映像が流れると胸が熱くなってくる。そしてラスト、暗い画面にかすかな波の音がかぶせられ、次の瞬間、画面いっぱいに映し出されたのは在りし日の水上レストラン・ジャンボキングダムの夜景。これはエモいです。
どこか一日くらいは足を運ぼうかなと思っていた落語協会の百年興行。昼の部夜の部共に全日程二人の落語家で「百年目」を前後に分けてリレーするという特別企画で、連日会長、副会長、花緑、一朝、菊之丞、馬生、国宝等々錚々たる顔ぶれ。12時半開演だが、11時15分ころには早くも開場。開場時点でほぼほぼ満席という、平日にしてはたいした客入り。
●一蔵「鷺取り」
開口一番は特別興行らしく若手真打交替出番。鈴本にえらくハマっているさん花や小平太、志う歌、桃花が名を連ねる中、この日は一蔵。客席から「まくれっ!」と声がかかった。片腕を高く上げて鷺の長い首を真似る仕草をしながら話すわけだが、「(実際話している顔)ここは鷺の白いお腹!顔はここ(手首)!」と言い張るのが可笑しい。この件では両手を羽ばたくようにバタバタさせて演じたり、人によりいろいろですね。
●曲独楽 紋之助
●志ん陽「たらちね」
文菊と交替。数年前に見た「壺算」がすごく良くて、それまで特に追いかけて聞く方でも無かったこの人に注目していたのだが、この日は静かな高座で寝てしまった。
●馬風
幕が上がると舞台に椅子に座った馬風。いつもの漫談だが大層受けていた。
●漫才 ロケット団
●一之輔「人形買い」
今日は中入り後に口上があり、その方が心配で落語どころじゃないらしい。「百年目」は花見の噺だが、落語はたいてい季節を少し先取りするもので・・・と端午の節句の噺。お供する小僧が、口が軽いを通り越して大人の自尊心を打ち砕く一之輔らしい破壊的キャラ。彦いちとの交替出番。
●朝枝「紫檀楼古木」
二ツ目交替出番。得意ネタなのはわかるが、去年の秋以来4回は聞いているなあ。それだけ磨きをかけているともいえるのだが。というか、早くも名人の風格すら漂わせている。
●雲助「堀の内」
馬石でばかり聞いていたので久しぶり。この語尾が聞き取れないほどにトントンっと進む感じがかなり独特だと改めて思う。
●紙切り 二楽
●正蔵「松山鏡」
一朝と交替。小咄で始めたり、常に落語へのアプローチが古典的というか(古典落語だから)正攻法、というか勿体付けてますよね。そこがいまひとつ好きになれないところなのだが、与太郎味を封印してのこの境地なのでしょうね。今回の百年祝賀企画実行委員長。
<中入り>
東西声が響いて柝が鳴るも舞台には一之輔だけ。なるほどひとり口上なのか。馬風が顔付けされているので正蔵も加わってまたいつものかと思ったが、袖に戻るにも前座の肩を借りる馬風にそれは酷というものか。今日初めて寄席に来たという方もおられるでしょうが、今日は普通の寄席とは少し違う「百年興行」。自分は中学生の時に初めて寄席で落語を聞いたが、いろんなおじさんが入れ替わり立ち替り出てきて、こういう場所があるんだなと不思議に思った。寄席は日により違って、今日は面白かった、良かったという時もあれば、なんだよ、時間を返せよ!と思う時もあり。次の百年も、こういうふんわりとした空間を大切にしていきましょう・・・といったところで三本締め。
●浮世節 橘之助
●菊志ん→三三「百年目」
全日ヒザがわりの橘之助によれば、今席は連日トリの出演者たちが普段より早く楽屋入りするとのこと。「どこで切るとか、打ち合わせしないといけないからネ」。白酒→雲助、一之輔→一朝、この日の夜席の柳枝→正朝といった師弟リレーにはやはりドラマを感じるが、この日は既に師匠を亡くした同士、菊志ん→三三のリレー。
三三が小三治の介護担当になる前は、日本橋亭あたりで時おり二人会をやっていて、ペラッとしたチラシに誘われて何度か見に行った。今もそうだが、三三は跳ねそうな後輩噺家と、割と積極的に組んで会をやる方ではないか。自分に無い部分を吸収しようとしていたのか、それとも自分だから打ち出せる部分を確認していたのかは知らないけれど。
菊志んマクラから自分が先代園菊から受けたパワハラめいた修行に触れ、ちょっと緊張感〜からの手代や小僧たちへのネチネチとした番頭の小言。店を出てからは迎えに出た幇間と身なりを拵えて屋形船へ。芸者たちが外を見たいと云っても障子を開けずじまい。あまりに暑いのでやっと障子を開けるとスウッと涼しい川風が通り両岸には満開の桜・・・ここで番頭のリミッターが外れる。顔を隠して花見遊びのはずが、通りかかった旦那にバレてさあどうなる・・・で菊志ん高座を降り、下手へ退場。短いお囃子(「花咲か爺さん」ではなかった)上手に控えた三三が出てきて後半へ。
お店に帰ってきてからの番頭の終わらない煩悶。まんじりともせず夜が明けて、居てもたっても居られず早く起きて外を掃く姿に、日ごろの番頭を知る小僧たちの奇異の目。「番頭さんがおかしい」と注進する小僧を諫める旦那の優しさが、逆に恐ろしい。そして旦那から番頭の日ごろの働きへの感謝、「旦那」の由来、番頭が小僧として店に入った時の思い出話が語られる。全幅の信頼を寄せていた番頭にたばかられたか・・・と帳面を見直したが、少しの金の不足もなかったと商才を褒め、さらに下で働く者への配慮の教えも説く。随所にはさまる花見の場での番頭へのからかいも含め、これはあるべき「師匠」の姿じゃないだろうか。正しく百年目の年に一応決着したパワハラ問題を想起せずにはおられませんな。
それはさておき良いリレー落語でした。最後は再び菊志んも出てきてふたりでご挨拶で幕。楽日の昼は白酒→扇遊のリレーなんだな。これも見たいのだが、その日は美馬の昇進お祝い落語会に行くので無理だろうな。
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